先日、配信したこちらのVoicy。
イケハヤさんがVoicyのプレミアム配信の中でご紹介してくださって、いつもよりも多くの方が聴いてくださったようです。
僕は昨年からずっと、日本の中で「Yuga Labs」と同じか、それ以上のポジション、つまり世界一を取りに行くことができる動きができるのって、日本においてイケハヤさんだけなんだよなあと割と本気で思っています。
他の起業家やインフルエンサーには、きっとむずかしい。
これは、実は本当にすごいことだと思っていて。
僕がそう思う理由は、ご本人も自ら仰っていることなので、このような言い方をしても許されると思うのですが、イケハヤさんはサイコパス気質なところがありつつ、一方で同時に人並み以上の優しさと倫理観も持ち合わせているからなんですよね。
そんなひとは、Web2時代の起業家には存在しない。必ずどちらかの要素が強くなってしまう。
ただし、web3時代にはこの両方が同時に求められる。
今日はこのお話をきっかけにしながら、web3時代にNFTで成功するひとはどんな人なのかという話を書いてみようかなと。
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まず、サイコパス気質というのは、具体的にどういうことか。
それは、世の中の構造の変化を正しく見定めて、それを実際に自分たちの活動において活用することができるかどうかということです。
この点、倫理観を優先すると、現実の変化を正しく見定める目が曇ってしまう。つまり「偏見」で物事を捉えてしまうんですよね。
何事も従来的な善悪の価値基準で捉えてしまい、無意識のうちに思考が保守的になってしまいがち。「こうあって欲しい」という願望が構造理解の邪魔をするのです。
もはや、NFTというのは一点物のデジタルアートが購入できるという域を完全に超えててしまっている。
それは、人間のコミュニティのあり方をガラッと変えてしまう可能性を持ち合わせているものであり、コミュニティの参加券やパスポートだけにとどまらず、契約や財政の基盤にもなっていくことはまちがいないでしょう。
それは、もう「パンドラの箱」が開いてしまったようなものです。
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この点、いつも繰り返してお話してきていることですが、どうしても僕らは、自分たちの意志で、自分たちが欲しているコミュニティをつくっていると思っている。
でもそれは違います。
マルクスが唱えた「上部構造と下部構造」のお話を用いながら何度もお伝えているように、コミュニティの形を決めているのは構造や仕組みの変化のほうなのです。
社会構造の変化によって若い世代の「社会的性格」が定められて、その社会的性格を身につけるひとたちが世の中の労働生産人口の大半を占めるときに、大きくパラダイムシフトが起こる。
本当にただそれだけです。
人間の自由意志だと思われているものも、実際には枠にはめられているだけ。
それを、仏教では「縁起」だと言い、親鸞は「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。」と語った。現代語訳すると「しかるべき業縁にうながされるならば、どんな行いもするであろう」という意味です。
だから、僕らはいつだって、社会の新しいテクノロジーによってもたらされる構造という流れるプールや、ウォータースライダーのようなものに乗せられているという認識を持っていたほうが良い。
それには決して誰にも抗えない。それはまさに『方丈記』の世界観。サイコパス気質がないと、これにはなかなか気づけません。
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このように、構造の変化の中でコミュニティ自体が大きく変わるということはもう明白です。
そして、そこで取引される「価値」や「信用」自体も変えてしまって、「お金」の流れも同時に大きく変わる。コミュニティ経済圏を流れる血液みたいなものがお金だと考えれば、それは当然のことですよね。
火薬や活版印刷、羅針盤や、原子力の発明と同じような変化が起きると僕は思っています。
でもそれらもすべてあくまでも「道具」であって、使う人間によって毒にも薬にもなるという代物です。
このような現状において、何を見据えていて、どのような未来から導かれる行動基準で動いているかどうかは非常に重要になってくる。
つまり、その構造を理解した上で、自らの倫理観に従って行動しているかどうかということがものすごく重要になってくるんですよね。
だから倫理観も、サイコパス気質と同じぐらい同時に非常に重要だと思うのです。
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で、このような話を聞くとものすごく怖くなってくるはず。
「だったら、一体何を行動基準にすればいいのか?」と。
実際、先日のVoicyの配信にも「怖い」というコメントはいくつか寄せられていました。でも、決して怖がる必要はないと思っています。
「未来の当たりまえ」が何かを真剣に考えて、それに従って粛々と行動すればいいだけなのだから。
「未来ではこのようあり方が普通になっているだろう」と思う行動を、今から粛々と実行していくことがものすごく重要なのだと思います。
たとえそれで、目先の利益を取りこぼしてしまったとしても、です。
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この点、どうしても、新しい市場が生まれて、まだ無法地帯状態のとき、人々の反応は二種類にわかれてしまいます。
一つは、無法状態を好機と捉えて、自分が得してやろうと画策して動いてしまうひと。
もう一つは今後の行く先を予見し、なるべく早くそのガイドライン的なものを自ら作り出し、多くの人に安心と、その果実を得られるようにと機会を提供しようとするひと。
一見すると、前者のほうがたくさんの利益を得られそうな気がしてしまうのだけれど、それはすべて「落とし穴」や「罠」だと思ったほうがいい。
実際には、後者のほうが圧倒的に得られる豊かさは増大します。
取り残される恐怖(FOMO)に煽られて近視眼的にならず、より中長期的な視点に立つことができる大局観を持つことが、本当に大切なのだろうなあと。
その未来の当たり前が見えているにも関わらず、従来の価値基準の中で「ちょっとぐらいズルしてもいいだろう、チートやハックをしたほうが短期目線で得をするだろう」と動くのが結果的に一番損をする行動になる。
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繰り返しますが、それまでの世界をガラッと変えてしまうような技術に人間は逆らえません。ただし、指を加えて苦々しい思いをするだけでもないはず。
もし、唯一何か良い方法があるのだとしたら、なるべく多くの人がこの振る舞いを行えるように促すことで、みんなでその未来を迎えに行くことなんじゃないのかなと。決して、過去に戻ることではない。
春秋戦国時代に、孔子などの諸子百家が出てきたことはそれを意味している。
僕らがいま「論語」を読んでいて「そんなの当たり前だろ、説教臭い」と感じることは実は本当にすごいことだと思うんですよ。
それが、今の僕らの倫理観の基準になっている証拠でもあるのだから。
でも、当時はまったくそうじゃなかった。孔子が生涯を通して不遇の人生をおくったことがそれを強く物語っています。
当時もきっと、今と同じように世界がガラガラと音を立てながら変化していて、落とし穴だらけの時代だった。
でも、孔子はずっと、この世界の「未来の当たりまえ」から人間のあり方を捉えていたんだと思います。
いつの時代においても通用するであろう人間の生き方を、乱世の中で真剣に説き続けた。
だからこそ、今のような時代に生きる僕らにも、その教えがそのまま伝わってきて通用しているわけですよね。
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これから世界はガラッと変わるのだから、従来の世の中から見たら大きなチャンスのような「罠」が本当に驚くほど増えるはずです。
言い換えると、人々の理解や法整備が追いつかず、火事場泥棒のようなことがいくらでもできてしまうようになるでしょう。
そのような振る舞いをする人々を見ながら、自らがたくさんのチャンスを逃しているような感覚になるとは思うはずです。でも、それが錯覚だということを「未来の当たりまえ」からの視座で理解していくことが、本当にめちゃくちゃ大事だと思います。
それは株式のデイトレーダーのほうがなんだか利ざやが多く見えるのと同じこと。もっともっと中長期で観たほうが、結果的には複利の効果で何百倍にもなる。
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さらに、今回は「価値」や「お金」だけではなく、「信用」や「信頼」にも直接関わってくる事柄です。ここがweb3時代の特殊性でもある。
そのときに、くれぐれも注意してほしいのはこれは「合理的利他主義」のような話でもないということです。
つまり「ギブアンドテイク」の世界だけではないということです。
その賢しらな人間の解釈や理解さえも、大きく超えてくる可能性は非常に高いと思います。
将来はどうなるのかはわからないけれど、こっちのほうが良さそうという「直感」も同じぐらい大事にしたほうがいい。
似たような話は、以前もこの配信内で語ったことがありますので、ぜひ合わせて聴いてみてください。
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さて、このように考えてくると、これから訪れる乱世のような世界のほうが、実は「生きるとは何か?」ということを問い直すひとたちが増えて、最終的には倫理観がアップデートされていくのかもしれないなと感じます。
そして、このような乱世における価値観の変化は、ひとりでは絶対に実行不可能です。
人間はそこまで強くない、必ず他者の目が必要になる。
つまり、コミュニティの中でお互いの「親切」と「勇気」の循環が必要になる。
そのための場所を僕はこれからも淡々とつくっていきたいなあと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。
2023/03/02 12:10