昨夜、Wasei Salonの中で「大AI時代、私たちはどう生きるか?」シリーズの第2回が開催されました。

https://wasei.salon/events/c2751c3c6e99

昨日は特定のテーマを設けず、自由に今感じていること、そしてお互いに聞いてみたい「問い出し
」から対話を始めたのですが、

対話を重ねる中で、次第に「人間とは何か」「どう生きるか」という根源的な問いに帰着していく流れが、本当におもしろいなあと思いました。

企画段階から、実際にそうなることも想像していたけれど、やっぱりそうなっていくんだなあとなんだという実感が、なんだかとても興味深かったんですよね。

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この点、いま僕たちの目の前には、生成AIというはじめて「人間」に匹敵する、あるいはそれ以上の知識を持つように見える「存在」を目の当たりにしているわけです。

このような状況下においては「人間とは何か」、改めてその存在意義や前提を、自らに問い直さざるを得なくなってくるのもきっと、必然なのだろうなあと思います。

そもそも、人間のアイデンティティや本質みたいなものも、常に他者との比較や対照を通じて相対化されて、そのプロセスの中で発見されるものでもあるわけですから。

つまり、それっていうのは、もともと最初からそこにあったわけではなく、そう問われた瞬間に、そこに立ちあらわれて、そしてそのタイミングから遡行的に発見されていくものだと思うのです。

一見するとちょっとわかりにく話ではあるんですが、このあたりのお話を今日はこのブログにも丁寧に書いてみたいと思います。

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たとえば、「日本人」というアイデンティティの形成過程なんかも、本来はきっとそうだったのだと思います。

どうしても僕らは、この日本という島国が大陸から切り離されて完成したタイミングから、ずっと変わらず「日本人」という概念が存在していると想像してしまいますが、実際には幕末に黒船が来航するまで、日本に住む人々にとって、「日本人」という概念はほとんど存在しなかったと思います。

それぞれの出身の藩としての、自分たちの「お国」があっただけ。

でも、突如外国の脅威に直面し、それに対抗するために一丸となってまとまらなければ侵略されてしまうという危機感から、「日本人」というアイデンティティが、ある種必要に駆られてそのときに発明されたわけですよね。

そして興味深いことに、この「日本人」という概念が生まれた瞬間から、まるでそれがずっと昔からこの国に”当然のように”存在していたかのように扱われるようになったわけです。

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同様の現象は、文化や伝統の中にも、よく見かけるかと思います。

たとえば、鹿児島の「さつま揚げ」や「さつまいも」などもわかりやすい。

他の地域との比較や交流が繰り返される中でそれらが「発見」され、現地では「つき揚げ」や「唐芋」と呼ばれるものが、後々から薩摩のものとしてそう呼ばれるようになって、結果的にさつまの独自性を持つものとして、世間の中でもひろく認識されるようになったわけですよね。

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このように、もともとアイデンティティを持ったものとして最初からあったわけではなく、ある時点で遡及的に「昔からあったもの」として発見され、定義されていくわけです。

このプロセスこそが、アイデンティティ形成の本質なのだと僕は思います。

で、いま現在の状況を改めて見つめ直すと、AIの出現によって僕らは初めて真の意味で「人間」というものを、考えるようになったと言えるはずなんですよね。少なくとも、知識や創作面においては間違いなくそうで。

そしてだからこそ、昨日の対話会においても「人間とは何か」という話題になっていくのも至極当然のことだと思いますし、それを哲学者や科学者など、特定の偉い人々だけでなく、普通の生活者である僕らも、真剣に考えていかなければいけないタイミングになってきているということだと思います。

それぐらいAIというのは、人間にとって「自己を映し出す鏡」のような存在なのだと思います。

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で、たまたま僕は今、先崎彰容さんの新刊『本居宣長「もののあはれ」と「日本」の発見』を読んでいるのですが、本居宣長もまた「これが古代から続く日本人の姿です」と、それまで明確な輪郭を持たなかった「日本的なるもの」に定義を与えた存在なのだと思います。

具体的には、当時の日本が、中国や仏教の文化(漢意)や武士文化(ますらおぶり)の影響を強く受ける中で、それらと対比される形で「もののあわれ」や「大和魂」といった概念を提示した。

そして、過去からずっとそこに存在するものとしてその瞬間に発見され、価値付けられたプロセスこそが本居宣長の功績なのだと思います。

このような視点の現代版を、いまひとりひとりが考えるための時間や空間が、きっと僕らには必要になってくるんだろうなあと。

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たぶん、これからAIというのは、まるでプラスチックのように世界中に広く遍く行き渡ることは、もう時間の問題なんだと思います。

これだけ便利で汎用性が高く、かつ安価に用いることができるわけですから。そうならないわけがない。本当にプラスチックと同様の効果をもたらしそうです。

だとすれば、その普及していく過程に対して抗ってみても仕方なくて、僕らはAIに早く慣れ親しむことのほうが急務で、でも一方で同時に、将来的にAIによって代替される可能性のある領域を見極め、人間にしかできない価値ある活動を見出し、それを守り育てていくことが重要になりるんだろうなあと思うんですよね。

これは、プラスチックが普及していく中で、伝統工芸や民芸が時代の変化の中で一度は忘れられながらも、後に再評価され、新たな価値を見出されたのととてもよく似ているプロセスだと思っています。

まさに、肉を切らせて骨を断つみたいな感覚ですよね。

つまり、AIの時代においても、人間固有の価値を先回りして見出し、それを死守することが、今自分たちにできる唯一の抗い方なんだろうなあと思うわけです。

ちなみに、これも僕なりの「理想を忘れない現実主義」的なあり方のひとつでもあったりします。

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だからこそ、AIありきの世界で、私たちはどのように生きるべきか。この問いに対する考える場、そんな対話を今から淡々と始めていきたい。

そして、ここで強調したいのは、最初の話ともつながるのですが「もともとあるものを大事にすればいい、それはそこに最初からあるから」という考え方も間違っていないけれど、それだけでは不十分だということです。

民俗学や民藝の分野を例に取ると、柳田國男、宮本常一、柳宗悦といった先人たちが、それまで意識されていなかった日本の伝統文化や生活様式を「発見」し、フレームを与えて価値付けしてくれた。だからこそ、僕たちは今それらを認知や認識をすることができて、評価し、そこに豊かさを感じることができているわけですよね。

それらは、ある瞬間に生まれ、定義され、価値付けられるものなのです。

この考え方は、直感的には違和感を覚えてしまうかもしれないのですが、でも実際にそうとしか言えないもの。文化やアイデンティティの形成過程を深く理解し、本当の意味で残していくためには、この視点が欠かせないのだと僕は思うのです。

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たとえば、日本が明治以降、急速に近代化する中で岡倉天心やアーネスト・フェノロサが「日本美術」を発見し、その価値を世界に知らしめました。

また、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが日本の伝統建築を高く評価し、日本人自身も気づいていなかった価値を見出したわけですよね。

これらの例は、文化的価値が常に外部からの視点や新しい文脈によって「発見」され、言葉や枠組みを与えられることで見出されることを如実に示しているかと思います。

一方で、このような「発見」や定義づけに異を唱える声ももちろんありました。たとえば、作家の坂口安吾は、そのような発見される「日本文化」なるものを否定し、すべては「人間だ」と主張したわけですよね。寺なんていらない、バラックでいいと。

この「(私にとっては)発見するもの」ではないと語る坂口安吾の視点は、当時の世の中に置いては、わかりやすく中指を立てるものだったと思うのです。

で、今このタイミングから振り返ってみれば、天心やフェノロサ、ブルーノ・タウトのような「発見者」と、坂口安吾のような批判的視点を持つ者、その両者の主張にはそれぞれに、それぞれの意義があったと言えるはずです。

実際、そのどちらの視点も、今まで残り続けて、僕ら現代人にも多様な視点を与えてくれているわけですから。

当時において、あるがままにただ流されてしまった人々こそが、文化や価値観、その本質を完全に見失ってしまったんだろうなあと思うのです。

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さて、今日語ってきた歴史的な観点を踏まえると、AIが普及していく時代の過渡期に、「人間とは何か」を、自分たち自身が能動的に見出そうとして、それを大事に育んでいく必要性みたいなものを、少しでも感じ取ってもらえたかと思います。

そして、それは偉い学者やお上から押し付けられるものではなく、自分たちで大事だと思うものを積極的に発見し、そこに価値を見出していくプロセスそのものが、きっと大事。

「実態がよくわからないから」と怯えてしまうのではなく、その実態が誰にもまだ完全には把握できていないからこそ、攻撃的な言葉が飛んでこないクローズドの対話の空間の中で、丁寧に考え続けていく価値があるよなあと思います。

これからもWasei Salonの中で、定期的に対話会イベントを開催しながら、それぞれがそれぞれに考える機会をつくりだしていきたいなあと思っています。

ぜひみなさんも、気軽に参加してみてください。

次の若月さんの会はこちら。

https://wasei.salon/events/964878ab98ff

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。