最近、AIコールセンターの話を見かけるたびに、なんだか不思議な気持ちになります。

これまで人間が受けていた電話を、AIが受けるようになることで、人手不足の解消にもなるし、待ち時間も短くなる、それはよくわかる。

企業にとっても利用者にとっても、便利になるのは、きっと間違いないのだと思います。

でも、そもそもAIで対応できる程度の用件なのであれば、わざわざ電話をかけて、最初から事情を説明し直すこと自体がなくなる方向には、なぜ進まないんだろうなあと思ってしまうんですよね。

もちろん、電話のほうが楽なひともいるでしょうし、電話でしか対応できない場面もしばらくは残りつづけるはずです。

ただ、僕にはどうしてもそれが「届いたFAXはAIが読み取って処理いたします。お客様は引き続き、紙に印刷してFAXでお送りください」と言われているように感じられるのです。

FAXを処理する速度は劇的に上がったけれど、FAXを送り合うという前提そのものは、何も変わっていないというような。

電話の向こう側だけが未来になっているような、そんなちぐはぐさを感じずにはいられないわけです。

今日は、「AI×仕事」まわりにあるこのような違和感について、少し考えてみたいと思います。

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で、よくよく考えてみると、これはコールセンターだけの話でもないよなあと。

たとえば、資料づくりなんかもそうです。

伝えたい要点をいくつかAIに渡して、きちんとした資料に仕上げてもらう。そして受け取った側は、その資料をまたAIに読み込ませて「要点だけまとめて」とお願いする。

つまり、膨らませる側にもAIがいて、縮める側にもAIが存在しているわけです。

それぞれの作業は驚くほど効率化されているのに、全体を引いて眺めてみると、僕らはいったい何をやり取りしているんだろうなと思えてくるのです。

もはや儀式ですらない、ただの形骸化した手続きです。

もちろん、資料をつくる過程で考えが整理されることもあるし、形に残しておく意味もあるのだと思います。

でも、もし「この形式で提出することになっているから」というそんな従来的な慣習だけで、その往復を繰り返しているのだとしたら、そこから問い直してみてもいいのではないか、と。

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あとは、採用における志望動機なんかも、まったく同じですよね。

応募する側は、その企業が好みそうな志望動機をAIに考えてもらい    、企業側も、届いた大量の文章をAIに読み込ませて評価してもらう。

そうなれば、文章をつくる速度も、文章を審査する速度も、どちらもこれまでにはないほどのスピードになっていくことは必定です。

でも、企業がその文章を通して本来知りたかったのは、そのひとが何に関心を持っていて、なぜ一緒に働きたいと思ってくれたのか、そして実際にどんなことができるのか、だったはずなんですよね。

整った文章なんて、もはや誰にでもカンタンに書けるようになったとき、その文章からいったい何が判断できるというのか。

書く側と読む側の両方を効率化したところで、そもそもの物差し自体が、もう以前のようにはまったく機能しなくなっていることに対して、もっともっと自覚的でありたいなと。

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僕がAIの効率化の話に常に感じている違和感は、たぶんこのあたりにあるのだと思います。

今ある仕事や慣習、評価基準は、これからも変わらずにずっと続いていく前提。

その前提のうえで、それをどうAIに置き換えるか、どれだけ速く安く大量に処理できるか、という話ばかりになっているように見えるのです。

でも、AIによって変わるのは、ほんとうにその仕事をする「ひと」や、作業の「速度」だけなのか。

その仕事がそもそも必要だった理由や、その能力が評価されていた理由まで、一緒に変わっていくはずだと僕は思うんですよね。

AIには社会を根本から変える力があると声高に語っているのに、いざ自分の仕事の話になると、「社会はこれまでどおり変わらない。そのなかで効率化をしよう」という前提にスッと戻ってしまう。

そのことが、ずーっと気になり続けています。

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もちろん、目の前の仕事を効率化することには、ちゃんと意味がある。いま困っているひとがいるなら、それを助ける仕事も必要ですし、そこにアービトラージが存在することもよく分かります。

でも、それを「これからの仕事」というラベルを貼って売るのであれば、ほとんど詐欺と一緒です。

これからは、もうFAXなんて使わない世界が間違いなくやってくるのに、一番速いFAXを「未来の道具」として売っているに等しいわけですから。

これからは馬ではなく自動車の時代なのに、鋼鉄の馬をつくって売ろうとしていることにも等しい。

古い仕組みが意外としぶとく残ることもあるでしょうから、数年後にすべてがなくなるとまでは言いません。それでも、過渡期にだけ必要とされる工夫を、そのまま自分が目指したい仕事の未来として受け取ってしまうことには、どうしても強い違和感があるのです。

だってそれは、過渡期の商品であることを伏せたまま、人に「未来」だと騙して売ることに等しいから。

既存の仕事をAIで最適化する方向には、もうすでにたくさんのひとが向かっています。僕は、そちら側にはなるべく立たないでおきたい。

だからこそ、自分の関心はその先へ向かっているのだと思います。

社会のいろいろなことが、AIでもっと速く、安く、簡単にできるようになったとき、僕らはいったい次に何を求めるようになるのか。

便利になった暮らしのなかで、それでもなお足りないと感じるものは何なのか。

そして、そこからどんな新しい仕事が生まれてくるのか。

僕が考えていたいのは、常にそっち側の話なんですよね。どれだけ目前のアービトラージに金のなる木が存在していたとしても、です。

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もちろん、「AIにできないことは何か」だけを考えることも避けたほうがいい。

それだけを仕事の拠りどころにしてしまうと、AIにできることが増えるたびに、自分の居場所を探し直さなければいけなくなります。それはなかなかにしんどいことだなあと。

だから僕は、もう少し自分たちの側から考えてみたいのです。

AIにできることがこれだけ増えた世界で、自分たちは何を大切にして生きていきたいのか。そして、その暮らしを実現するためには、どんな役割や営みが必要になってくるのか。

言い換えると、人間の変わらない本質に対して、これからはもっともっと真剣に目を向けていきたいなあって。

まだ職業としての名前がついていなくても、「それがあって助かる」「自分もそこに関わっていたい」と思ってくれるひとがいるなら、そこから仕事が育っていく可能性は十分にあると思います。

そしてそれっていうのは、温故知新みたいな話で、古くて新しいものになるはずです。

それこそ、古代ギリシャや紀元前から変わらない人間の習性みたいなものを満たす何かであるはずだと、僕は思っています。

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とはいえ、それが具体的にどんな形をとるのかは、今の僕にもまったくわかりません。

「これからは信頼の時代です、コミュニティの時代です、宗教の時代です」と言ってしまえば、なんとなく答えらしいものにはなることは、わかっています。

でも、信頼のある関係のなかで具体的に何をするのか、そこからどんな暮らしや仕事が生まれるのかを実際に試していかなければ、結局は言葉だけで終わってしまうような気がしています。

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だからこそ、Wasei Salonを、そういうことを一緒に考え、しっかりと試していける場にしていきたいなとずっと思っています。

たとえば、会議の議事録をAIがつくってくれるようになった先には、「そもそも僕らは何のために集まっているんだっけ…?」という問いが必ず待っているはずです。

それでも誰かと集まりたいのだとしたら、そこで僕らは一体何をしたいのか。

まだ自分でもうまく説明できない違和感を、とりあえず相手に話してみたり、相手の話を聞いているうちに、自分が当たり前だと思い込んでいたことにふと気づいたりして、意見が合わなくても、すぐには答えが出ないままでも、それでも共に考え続けてみる。

そういうことが大事になってくるはずで、読書会も、まさにそういう時間なんだと思います。

本の内容を効率よく知ることは、AIを使えばもういくらでもできるようになりましたが、同じ物語のどこに引っかかるかは、ひとによって本当に、バラバラで十人十色。

その違いに対して、互いに敬意と配慮と親切心を持ち合いながら触れ合うことで、逆説的に自分がほんとうに何を大切にしているのかが、少しずつ見えてくるわけですよね。

AIが便利になればなるほど、人と集まる意味まで自動的に決まってくれるわけではありません。だからこそ、その意味は自分たちで考えていくしかないのだと思います。

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仕事についても、きっとまったく同じです。

すべてを事業にする必要はないし、すぐに収益化できるかどうかで判断する必要もないと思っています。今の価値基準そのものを問い直したいのに、最初から今の市場で評価されることばかりを求めていたら、考えられる範囲も自ずと狭くなってしまいますから。

まずは、自分たちが必要だと思うことを、小さく始めてみる。

そのなかから、いつか誰かの暮らしを支える仕事も育っていくはずです。Wasei Salonを通じて、そんな試みも重ねていけたらいいなあと思っています。

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そして、これは僕自身の仕事にも、ダイレクトにそのまま向けなければいけない問いでもあります。

いま自分がしている仕事の形を守るためにAIを使うことばかり考えていたら、冒頭で感じた違和感が、そっくりそのまま自分にも返ってきてしまいます。

だからこそ、自分の仕事も含めて、このタイミングで何度も前提から考え直してみたいなと。

というか、その問い続ける過程の中にしか、ほんとうの答えにたどり着く道は、もう残されていないように思っています。

AIによって効率化されていく先で、僕らは一体何を自らの仕事にして、どんなふうに生きていきたいのか。その答えをまだ持っていないからこそ、その前提から問い直し、他者と対話し、共に試しながら一緒に見つけていきたいと思っています。

いつもこのブログを読んでくれているみなさんにとっても、何かしらの参考となったら幸いです。