「自分が人生をかけて探求したくなる問い(仕事)に巡り合うためにはどうすればいいのか」

現代を生きる多くのひとが、頭を悩ませている問題だと思います。

この点、よく目にする意見としては「ひとりの優秀な師(メンター)と巡り合いましょう」や「自らの専門性を高めていくことで自然と巡り合える」という類いの意見です。

たしかに、物語やフィクションだとそのように描かれている場面をよく目にするため、一見するとそれが正解のようにも思えてしまう。

でも、実際のところは、二つの現実に引き裂かれるような体験をすることが重要なのだと僕は思います。

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具体的には、一人の師ではなく、同じぐらい信用している複数の他者から、まったく別の信念を見せつけられて自らが完全に混乱してしまうこと。

その信頼する他者が、無条件に信じていればいるほどなお良いと思います。

そして、どちらも同程度に正しく感じるとき、初めて自然と自らの中に探究心が芽生えてきて「一体どっちが正しいんだ…?」と考えるようになるのではないでしょうか。

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この点、至るところで引用されている文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』という本に出てくる「お父さんとおじさん」の話にも似ているかもしれません。

ざっくり説明すると、親族構造において子どもは、自分のお父さんだけではなく、おじさんという存在からも全く別の価値観を教えられて、その両方の説明に納得感を感じてしまい、「一体どっちが正しいんだろう…?」とその葛藤に切り裂かれる経験をする中で成長していくのだと。

きっとこのような葛藤の中で成長するのは、子供に限らないはずで、大人であっても同様だと思うのです。

しかし僕らは、大人になればなるほどこのような葛藤や混乱の中に身を置くことを、極端に嫌うようになる。

それは決して居心地がいい状態とは言えないですから、当然といえば当然のことなのかもしれません。

大人になると、考えることや学ぶことがドンドン億劫になり、ひとつのわかりやすい意見を声高に叫んでくれるひとや強いリーダー、組織を求めてしまう。

そしてその人や組織の問いが、私の問いだと誤解するようになる。

だからこそ、社会人になってから切り裂かれる経験をするというのは、とても大事なことだと思います。

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じゃあ、具体的にはどうやって、そのような立場を手に入れれば良いのでしょうか。

思うに、「複数の職場で働く、複数の拠点で暮らす」のは現代において非常に効果的な方法だと思います。

それぞれの先に、それぞれの正義がある。自らが実際に足を運んでみてそこに浸ってみると、どちらも正しく感じてくるはずです。(※メディアで触れるだけだと、そうとは感じない)

そうやって、「えっ、どっちが正しいの…?」と自動的に引き裂かれ、混乱すること。

そこに明確な答えはないかもしれないけれど、身をもって体験する中で、自分が本当に探求したいと思える問いには自然と巡り合えるようになるかと思います。

こんな時代だからこそ、自ら積極的に引き裂かれる体験をしに行きましょう。

極端な話かもしれないけれど、今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。