今朝、エルメスやフェラーリが好調だという日経新聞のニュースが流れてきました。


人気で好調になればなるほど、供給量を増やすのではなく、むしろ価格のほうを上げて、供給量を絞るだけ絞り、希少価値の方に転嫁できるビジネスは、これからは本当に強いなと思います。

言い換えると、供給量をグッと絞ってくれたほうが、むしろファンからも圧倒的に喜ばれる構造にあることが本当に凄まじいなあと思う。

この時代において供給が多いということは、単純に価値を希薄化するだけですからね。つまり商品価値それ自体を、毀損することとほぼ同義です。

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僕は繁華街を散歩するのも大好きなんですが、実際、いつでもわかりやすく行列をつくっているのはエルメスの路面店です。

もちろんインバウンド観光客からすると、円安の影響で日本国内で買うのがお得だということもあるんだと思いますが、それ以上に、国内が2極化が進んでいる証でもあるなあと思いながらその光景を眺めています。

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で、ここで話が少しズレるのですが、コロナ後も残った「コロナマジック」みたいなものって世の中にいくつかあるなあと思っていて、そのなかでもわかりやすいのが、ハイブランドの路面店の行列がその代表例だなと。

具体的には、一度に入れるお客さんの人数を絞って、販売窓口を絞るということで希少価値を上げるための施策として、コロナの慣習をそのまま残し、本当にうまいことをやっているなあと思わされる。

コロナ禍によって生じた、やむを得ず生まれた入場制限で当初は安全対策として始まったはずだったんだけれども、一部のビジネスではこれを好機と捉えて、そのまま希少価値を創出する手段として活用し続けていますよね。

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まさにそれが許されるのが、エルメスのようなハイブランドや、他にもたとえばジブリパークなんかも未だに「ゆっくり来てね」なんですよね。

ジブリパークは先日「魔女の谷」という新エリアをオープンしたのですが、その新エリアオープンのポスターにも、未だに鈴木敏夫さん直筆の「ゆっくり来てください。」の文字がデカデカと書かれてある。

コロナ禍にオープンしたから、このような記載があった例外的な処置だったはずにもかかわらず、つい先日オープンしたばかりのエリアのポスターにも、そのまま残してある不思議。

もちろん、取り忘れているわけではなく、稀代の天才プロデューサーである鈴木敏夫さんが、わざとそうし続けていること意味をついつい真剣に考えたくなってしまいます。

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このように、コロナ禍だったからこそ許されていた施策が未だにしれっと続いている。供給を絞るための施策として、です。

もし仮に、同じことをユニクロやニトリがやっていたら、きっと苦情殺到になることは容易に想像できます。

「いつまでやっているんだ!」と一般市民から非難轟々でしょう。

たぶんこれは、ディズニーランド(オリエンタルランド)でも、不可能なんじゃないかと思います。ジブリパークだからこそできること。

つまり、その意図を理解してくれるお客さんが、ジブリのファンでもあるということも大事なんだと思います。

そして、少数の来場者に対してしか見せられない、でもそこにあるものは、すべて「本物」である、そんなふうに希少価値をより一層高める方向性へとどんどんシフトしている。

このように、エルメスやジブリのお客さんは「未だに入場制限やっているのか!」って怒らない。

むしろ「絞ってくれてありがとう!繊細で価値が高い本物を届けてくれてありがとう!」と感謝してもらえるビジネス構造やファンとの関係性を築いているかどうか。

言い換えると、それによって生じる不便さすらも品質の証として受け入れてくれるし、当然それが受け入れられていると供給側も理解しているんですよね。

だからお互いにWin-Winの関係性を築けているわけです。

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このような話ってあまり指摘されていないですが、本当にすごいことだなあと僕は思います。

何度も繰り返し最近語ってきたように「希少価値を高めること、ブランド価値を落とさないこと」にこそ、ビジネスの主戦場が移りつつあるわけだから。

それを運営側が完全に理解をしていて、その施策に賛同するお客さんがついてきているかどうか、そこが完全に分かれ道になりつつあるなあと思います。

コロナ期間中に客数のほうを絞って思いっきり価格をあげられた飲食店や宿なんかもそう。その決断ができるということは、ファンがしっかりといる証拠ですから。

「逆に供給量を増やせ!そして安くしろ!」とせがまれているところは、必ず価格競争に巻き込まれて消えていく。

今後はこの「入場制限」を続けられているところなのかどうか、それを続けていても顧客(ファン)が文句を言わないかどうかは非常に重要な視点になってくると思っています。

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今日のような話は、リアル・デジタル問わず供給量が爆発的に増加する時代だからこそ、いま考えておきたいことでもあって、山口周さんの「役に立つと意味がある」の話にもつながる話。

そして、今どのような変化が起きているのかといえば、役に立つの価値がより一層希薄化してしまっているように思います。

もちろん、トヨタのような輸出ビジネスが好調なのは理解できる。これから「役に立つ」が求められる新興国も多いから。

ただ、国内市場のニーズで言えばその限りではない。人口減少の一途をたどるわけですから希少価値を高める方向でしか、生き残ることはできないと思います。

実際、インバウンド観光客が望むものも、そのようなある程度お金払ってでも、本物でリッチな体験を望んでいる。

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そして、何よりも、「役に立つ」の最終形態や究極系自体が個人オーダーであり、個人のニーズに限りなく寄り添ったカスタマイズであることは、かなり大きいと思います。

言い換えると、既製品型の薄利多売モデルは役に立つの最終形態ではなく、あくまで通過点に過ぎない。

ただ、これまではカスタマイズや個人オーダーは人件費がとにかくかかるから行われていなかっただけで。

でもそれは、これからはAIがやってくれる。しかもApple Vision Proのようなものも出てきたわけです。大量のセンサーを積んでいて、人間よりも精密な計算をしてくれる。

そのデータを解析して最適解を提案するのが、AIになるわけです。そうなってくると個人オーダーのようなものも、安価で実現可能となっていくはず。

ユニクロやニトリのような企業でさえも、このときにも本当に生き残っていられるのかは結構怪しいなあと僕は思います。

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一方で「意味がある」はという点は、絶対に自己完結し得ない。

必ず、広く共有されていることに意味が見出されていく。

子どもとの思い出みたいなものは確かにものすごく個人的な「意味がある」なのかもしれないけれど、それでも子供という他者を必要とする。

つまり、「意味」は必ず自分以外の他者が必要なんですよね。

だから、個人オーダーのように自分の内側に向かうのではなく、必ず外側へと向かう。

つまり「コミュニティ」に向かうわけです。

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ということで、認知や人気が広がれば広がるほど、供給量を絞れるビジネス、数を意図的に増やすどころか減らせるビジネスは、これからの時代には間違いなく強くなるはず。

NFTなんかに僕が強く興味を抱いているのも、まさにこのあたりに理由があります。

実際、ビットコインという仕組みはそれで価値が高まることを世界に対して証明してくれてもいるわけで。これからは供給量を増やさずに、資産価値を落とさないでくれる、デベロッパーの商品が、圧倒的に人気になる。

言い換えると、自分たちの売上を重視することよりも、顧客が持っているものの資産性を落とさないことに最大限尽力してくれること。

都内の不動産デベロッパーで言えば、森ビルや三井不動産みたいなところです。

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もちろん、くれぐれも誤解しないでいただきたいのは、一旦不景気になれば、そんな嗜好品は無用の長物でもあるわけですから、どこまでも価値は下落していく。

それはちゃんと理解をしておかないと、そのようなタイミングで悲観の投げ売りをしてしまいかねない。嗜好品は一番最初に暴落して当然なんです。それは仕方ない。

ただ、一方で不要不急だけでは、生きていけないのが人間であって、必ずそのような嗜好品の需要なんかもまた、しばらくすると復活してくる。

であれば、なおさらのこと、顧客の資産価値を毀損しない形で供給を常に微細にコントロールしてくれるところから、順番に価値が戻ってくるわけですよね。

それはエルメスが200年近く続いているように、です。その間に何度も経済的不況があったはずにも関わらず、エルメスの地位は揺らがない。

しかも、昔に作られた限定品というのは数は決して増えないところがミソであって、それらは続々とヴィンテージアイテムになっていく。

ヴィンテージアイテムの筆頭であるリーバイスのデニムなんかも、最近はありえない金額になってきています。

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このように、もう絶対に増えないものに対して世間やコミュニティが「希少性」を感じて、富裕層がそれを資産として買い漁るという循環が生まれてくるわけです。

世界が2極化して、富裕層はどんどん資産を手に入れるための余剰資金を増やしていくわけだから、このあたりの現象ももっとわかりやすく2極化していくんだろうなあと思います。

良くも悪くも、世界はそちらの方向に向かっていくことはきっと間違いないためにn、このような方向に進む世界の中で、一体自らは何に対してお金を投じるのか。

このような問いは、あらためて一人ひとりが考えてみるべきことなんだろうなと思います。

何かにお金を使うということは、それすなわち広義の投資や応援そのものでもあるわけですから。だから希少価値が上がるものに投じるという人もいれば、その戦いの螺旋から降りて、人や人間関係に投資していくことだってあり得るわけです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のブログが何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。