仕事において、チームはなくてはならないもの。
特に会社員や公務員の方など、何かしらの組織に属して働いていてる方にとっては、部署やチームの存在は当たりまえすぎて疑わないものかもしれません。
しかし、それって本当なのでしょうか。
今日はそんな当たりまえすぎて、普段はあまり考えたことがないことをこのブログで少し考えてみたいと思います。
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この点、チームとは必ず何かしらの「目的」を伴って、その目的を達成するために集まる集団です。
目的のためなら、ある程度の個人の犠牲もいとわない。
ちょうど「公共の福祉」のために、個人の人権がある程度制限されてしまっていることにも似ていますよね。
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そう考えると、本当に個人の犠牲を伴ってまで常にチームで動いたほうがいいのか、という疑問が生まれてきます。
この点、僕は目的を達成したい時にだけ、チーム組んだほうがいいと考えます。
これは、現代におけるオフィスの考え方にも似ているかもしれません。
仕事においてオフィスの存在と、そこに毎日通うことは当たりまえという認識だったけれど、実際はそうではないのだと、今年に入ってから多くのひとが気がついた。
それと同様に、何かしらの目的を常に掲げ続け、その目的のために、お互いの犠牲を求め合いながら、恒常的に利害関係を持ち続ける必要なんて本来ないのかもしれません。
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だからこそ、ギルド的な働き方のように、何か明確に達成したい目的があるときにだけチームを組む、しかも最高のチームを。
古い例えで恐縮ですが、
『スラムダンク』の湘北のようなチームや、『ルパン三世』『幽遊白書』のようなイメージです。
これらの作品に出てくるキャラクターたちが日常の中でも恒常的にチームを組み続けていたら、絶対に衝突していることは容易に想像することができますよね。
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とはいえ、人間は生きていれば他者とのコミュニケーションを求めてしまうもの。ひとりで生きることはできません。
でも、その「コミュニケーション欲求」は、かならずしも仕事のチームに対して求める必要はないのだと思います。
日常的なコミュニケーション欲求は、家族や地域コミュニティ、趣味やオンラインサロンのような「コミュニティ」の中で行っても良いわけです。
つまり、利害関係を伴わない間柄で、日常的なコミュニケーション欲求を解放していけばいい。
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勝つことを目的としたチームで、全てを完結させようと思うから、苦しくなってしまう。
試合(目的達成)と日常をしっかりと切り分けることが大切なのです。
これが僕の「賛成する人がほとんどいない、大切な真実」のひとつです。
https://wasei.salon/blogs/bbca6cb0786d
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具体的な提案としては、チームを組まなくても毎日を平穏に生きられる目的のない"仕事"も同時に持ち合わせることです。
それは、ある程度自己の裁量だけで完結できる仕事と言い換えることもできるかもしれません。
昔の「百姓」と呼ばれる人たちが行っていた日々の仕事なんかは、まさにこの目的のない仕事だったのでしょうね。
そして、必要な時だけ、必要なタイミングで適切なチームを組む。
こっちが他者の領土を奪いに行ったり守ったりする「戦争」や「一揆」のようなものだったのかもしれません。
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終身雇用や家族経営と呼ばれるような働き方が当たり前とされてきた日本において、あまり理解されない考え方だとは思いますが、これからの働くを考えるうえでとっても大切なことだと僕は思います。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの参考となったら幸いです。