従来の理想的なビジネスモデルは、イケてる価値観を提案し、それを消費者に選択してもらい、限りなく模倣してもらうことでした。

それは、コカコーラ的であり、アメリカ的であり、啓蒙的。

でもそれは幻想に過ぎなかった。

実際には、その「イケてる価値観」を消費者が追えば追うほど、企業側が一方的に富むだけで、それを追う人間のほうは理想と現実の乖離に精神を病み、健康を害し、ドンドン疲弊していく一方です。

その反動でいま求められているのは、受け手が自らの価値観を深掘りし、自己の潜在能力を発見してもらうための商品やサービス、空間のほう。

主役は、間違いなく受け手に移り変わっている。

啓蒙的に対して、これは自問的、内省的と言い換えてもいいかもしれません。

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自分の可能性に自覚的になっていくことのお手伝いをすることが、これからの企業や作り手に求められている姿勢です。

「俺のかっこよさを真似しろ!」から「あなたのかっこよさに気がついて」と、ありとあらゆる手段を用いて受け手側をヒーローにしていく空間を創造していくことです。

啓蒙的な立ち振る舞いは言うなれば、読むべき本を一方的に提案するようなもの。

でも、現代において求められているアプローチは、何を読むべきかを自分で判断する能力を得ていく手助けをすることです。

決して、こちら側から何か特定の価値観を押し付けたりはしない。

もちろん、砂糖やアルコールを含んだ商品のように、気づいたら完全に依存してしまっているような状態をつくり出すことでもありません。

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そうやって、取捨選択する能力を自らで養ってもらうためには、一体どうすればいいのかを必死で考え、提供する。

誤解を恐れずに言えば、この内発的な変化を獲得してもらう過程そのものが「商品」や「サービス」に変化しているのが、今なのだと思います。

最終的に辿り着く一人ひとりの結論(状態)には、あまり大きな価値はないのかもしれない。

その過程、プロセス、証明する過程に本人が強い納得感を獲得していくことに価値がある。

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この発想は、どのような犠牲を伴っても「真理」を教え込もうとする西洋哲学や西洋宗教のようなスタンスではなく、目の前のひとの可能性を最大限発揮してもらうためなら、「嘘も方便」として許容する東洋哲学や仏教にも似ている。

昨日のブログにも書いた通り、商品の品質や機能じゃなくて、その先に集まるひとたち(コミュニティ)によって生まれる「循環」こそが、自己の作品であり商品であるという認識を抱けるかどうか。

https://wasei.salon/blogs/2af7f13103fd

これからの作り手に強く求められる姿勢だと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。