昨日、こんなツイートをしてみました。

人間が利己的に振る舞うことは避けられません。

それは「私」だけに限らず、同時代に生きる人間(友人や家族の)利益だけを追い求めるようになることもそうです。

でも、多くのひとはそれが「利他的な行動」だと誤解しています。

未来の人間の存在よりも周囲の人間のほうが優先順位が高くなっている時点で、実はものすごく利己的な行為のはず。

でも、人間は現在を見捨てられない。いま目の前のひとを助けられるのであれば、自分も含めて未来の優先順位が低くなることは当然なんです。

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この点、先日Podcast番組「オーディオブックカフェ」にゲストで来てくださった作家・喜多川泰さんのお話がとても参考になりました。

それは、「一杯のラーメンがどのようにできているのか」というお話。

たった一杯のラーメンであっても、世界中から原材料が届き、私の目の前に存在している。ラーメンには世界中の人々が携わっているというお話でした。

だからこそ、海外の影響を受けないひとなんて、ひとりもいないのだと。

日本国内でどれだけ自給自足をしていて「俺は海外からの影響なんて1ミリも受けていない!」と思うひとも、電気ガス水道などインフラの助けを受けていれば、その事業者の中にそんなふうに作られたラーメンを一杯でも食べている人間がいて、それを自らのエネルギーにしていれば、海外の恩恵を十二分に受けていることになるわけです。

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そして、このお話をさらに突き詰めてみると、世界中にとどまらず、世界中の過去に存在したすべての人間のおかげで、それぞれが成立していることも理解できるはず。

過去の先人たちの多大なる努力によって世界の荒地は耕され、運送技術が発達し、いますべての素材は私たちのところに届いているわけですから。

つまり、現在目の前に存在するものは、世界中、そして過去中の人間が総力をあげて創りあげたものであるということが、本当の意味で腑に落ちるはずなのです。

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でも、なかなかそうとは思えない。それはたぶん普段触れているメディアの影響も大きいかと思います。

現代人は、現代人のつくったコンテンツだけを消費して生きています。過去に書かれた書物を読むひとなんて、ほんの一握り。

でも、それさえも、やっぱりつながっているんですよね。

なぜなら、現代人のコンテンツはすべて、誤解を恐れずに言えば「過去の作品のパクリ」であり、コピーでしかないのだから。

漫画なんて、ほとんどがパクリだと思います。作者本人の実体験で得られた「全く新しい学び」を描いている余裕なんて、彼らの生活の中に存在するわけがない。それを公然と認めている作者の方も多いですよね。(宮崎駿さんとか尾田栄一郎さんとか)

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ここまで気づけたら、自分が圧倒的な負債を背負っていることにも気づけるはずです。

そして、この負債感に気づいた時点で、タダ乗りできる人間なんてまずいない。人間として受け取ってしまったら、必ず返したくなるのだから。

自分の代で、それを止めてしまってもいいなんて絶対に思えなくなる。

とはいえ、従来のような形(家制度や宗教)で、その教えの場が復活するとは思えない。

ただし、次世代に教え伝えられるべきことや、自覚するべきことは同じです。

全く新しい(と人々が感じられる)形で、この歴然とした事実に自覚的になれるような仕組みを、これからの時代を生きる僕らが新たにつくっていく必要があるのだろうなあと。

それはきっと、新しいコミュニティの形によってもたらされるのでしょう。

だからこそ僕は「健全な負債感」を背負える空間を創りあげていきたいと思っています。しっかりと先人たちの積み上げてきたものをコピーし、パクリながら。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。