最近、強く実感していることです。

しかし、なぜか私たちはその道を選択することができない。

それは、どうしてなのか?

今日はそんなことについて、少し考えてみたいと思います。

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この点、さまざまな理由があるかとは思いますが、一番大きな理由は、弱さや逃げ、諦めなど、そういったネガティブな印象を他者や自分自身(内なる他者)に与えたくないからなのだと思います。

私たちはそれぐらい、他者のまなざしから強い影響を受けてしまっている。

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「すでに自分が知っている、自分がなすべきこと」というのは、世間の評価軸の「優秀」や「成功」などの概念から遠ざかる選択肢の場合が多いですからね。

だからこそ、自分が「易きに流れる選択肢」を選ぼうとしてしまっているのではないかと不安になってしまうのでしょう。

つまり、この悩みを抱くひとは、実はものすごく真面目なのです。

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しかし、その「他者のまなざし(世間の評価)から逃げない」選択肢こそが、まさに自分の人生から逃げ続けている状態とも言えるのではないでしょうか。

他者のまなざしばかりを気にしてしまい、世間から評価されることばかりを最優先にして、自分が本当に興味があることに対して、まっすぐに向き合っていない状態。

それが、どれだけ高尚な考え方で、周囲から絶賛されるような態度であっても、自分の人生から逃げていることに変わりはありません。

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逆にいえば、アドラー心理学における「目的論」のように、「一歩踏み出して失敗したくない。だったら、社会から評価されるさまざまな理由を見つけてきて理論武装し、必死に努力する現状維持を選びたい」と自分が気づかないうちに願ってしまっている。

つまり、私たちはこの「暗黙の目的」を達成するために、ありとあらゆる美しい理由を無意識のうちに総動員して、現状維持を肯定しているのです。

つまり、すべては自分がつくり出した「言い訳」に過ぎない。

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じゃあ、どうすれば「自分が既に知っている、本当に自分がなすべきこと」を素直に選択できるようになるのでしょうか。

理性的に考えれば考えるほど、泥沼にハマってしまうので問題となります。

思うに、その答えはきっと「もっといい加減になること」なのではないのかなあと。

ふと力を抜いたときに自然と選べる選択肢に、ちゃんと素直に手を伸ばしてみる。

その直観は決して間違っていないのだから。

もちろん、そうやって踏み出した結果、最初に思い描いていた通りの理想の状態には辿り着けないかもしれない。

でも、そうやって選んだ道は必ず自分を確からしい場所へと連れて行ってくれる。

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一見すると「えっ?」と思われるような結論だったかもしれませんが、F太さんとゆっくりと対話しながら、そんなことを考えました。

今日のお話に少しでも興味を持ってくれた方は、ぜひこのお話をふたりで語った本編も、合わせて聴いてみてもらえると嬉しいです。