昨日もご紹介したイケウチさんの京都ストアで開催されたイベントの質疑応答の時間に、とてもおもしろい質問が飛んできました。


それが「こだわりとフィードバック」の話です。

具体的にどんな内容だったのかと言えば(質問者さんがいることなので、あえてぼかしながら書きますが)「自分が追求しているこだわりと、そのことに対する批判的なフィードバックに、どのようにお二人は向き合っていますか?」というような内容でした。

質問者の方も現状、そのこだわりと、周囲からのフィードバック、そのズレに悩んでいる最中で、今自分が置かれている状況に対してモヤモヤをしているのだと。

今日はこの質疑応答を客観的に眺めながら、僕が感じていたことを少しだけ書いてみたいと思います。

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この点、池内代表は「素直にうらやましい」というお話をされていました。

池内代表のような立場になると、周囲において自分に対して直接的なフィードバックをしてくれる人がいなくなるそうです。

「いつも自分は裸の王様である」という強い自覚を持ちながら、自分で自分の行動を戒める必要がある身だから、自分に対して、直接フィードバックをしてくれる存在は貴重であるとおっしゃっていました。

これは、僕も本当にそう思います。

質問者さんは若い方だったのですが、若い時代には周囲が指摘してくれても、30代も後半になってくると、そのような機会もぐんと減ってくる。

それでも、しっかりとフィードバックをいただける存在は、本当に貴重だなあと思います。特に、それが自分の「こだわり」とのズレに対して指摘してくれている場合は、なおのこと。

だからこそ、40代の経営者などは、突如「他人から素直に怒られたい」というような願望から「お稽古ごと」を始める人も増えると言いますよね。

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しかし、ここで注意しなければならないのは、フィードバックを受けることの重要性を認識しつつも、それに引きずられすぎないことです。

「その助言自体が大切なものだから」という理由で、そちら側に完全に寄ってしまうのも、きっと違うのだと思います。

それはそれで、フィードバックに対して完全に執着してしまうことにつながってしまうわけですからね。

この点に関しては、池内代表も黒木さんも同じようなことを語られていて、「同業他社の商品や企画なんかは、ほとんど見に行かない」とおっしゃっていました。邪念が生まれるだけだから、と。

僕も、それはとっても大事なことだと思います。

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ともすると、他者からの大事なアドバイスだと思いすぎるがゆえに、そちら側に執着しすぎて、有識者や業界人、指導者の顔をした人間の言ったことに「そのすべての答えがある」という風に盲信をしてしまい、他人の声ばかりが気になってしまうような状態に陥りがちです。

しかし、それはそれでかなり危うい状態。

もちろん、そのような他者の声の中にも、真実めいたものは多数存在するし、時には有無を言わさず、従ったほうが良い場面もあるかと思います。

だけれども、その際には自分なりの問いと仮説、そして、実際の行動、その上での成功や失敗が同時に含まれている必要があると思うのです。

そして、やっぱり自分にとって一番大切な答えは、自分の中の考えに考え抜いた結果の実践がなされた場所、それを提供した際における「現場」のほうに存在していると僕は思います。

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つまり、ここで一番大事なことは、自分の中に「ハレーション」が生まれることなんだと思います。

これは、とても変な話に聞こえるかもしれませんが、自分の内面でバッティングする、ハレーションがあるからこそ、自分の中で、そこに問いが立つわけですからね。

僕は質問者の方のお話を聴きながら、これこそが一番大事なポイントだと思ったんですよね。だから、今とても素晴らしい状況にいるよ!と思ったんです。

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自分自身は、こっちのほうがいいと思っていて、それをひとつのこだわりとして、プライドをもって実行してきたのにもかかわらず、他者はそれを見事に批判してくる。

それは自分の正義と、目の前の評価がズレているわけですから、ものすごく苦しいし、モヤモヤするに決まっています。

逆にそう感じなければ、きっとそれは本気度が足りないのかもしれません。真剣に本気で取り組んでいることに対し、何か思わぬ角度からの指摘が入れば、誰であっても一度は感情は波立つものです。

でも、繰り返しますが、このときに人間は一番成長するはずです。

これがないと、漫然と過ごしてしまう。いつまでも、自らの中で次のフェーズ感へと高まっていかないわけですから。次第に、自分のこだわりさえも、マンネリ化してくる。

だからこそ、この「問いが立つ瞬間」を大事にしていきたいなあと僕なんかは思うんですよね。

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そして、その問いをもとに、再び現場に立ってみて、自己の改善に少しでもつなげていくこと。

そうやって思案に思案を重ねた結果「やはり自分にはこれだ!」と思って、よりこだわりを強めるかもしれないし、新しい視点を手に入れて、そのこだわりをスッと手放せるようになるかもしれない。

往々にして、この作業の最中には痛みを伴うかもしれませんが、この過程を経ることで、「こだわり」はより強固に、そしてより柔軟になっていくのではないでしょうか。

そして今日のブログの一番のメッセージは、このモヤモヤや葛藤を抱える、当事者になれることに対して、もっともっと喜びたいよね、ということなんです。

僕らは、これがどうしても感情的に落ち着かないため、避けてしまいがちだから。

どっちかにハッキリとしたくなる。だから、他者からの助言を完全に無視するか、もしくは反対側に振り切って、完全に相手の話に同調してすべてを鵜呑みにしてしまうわけです。

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でも、こだわりとフィードバックその狭間に追い込まれて、わからないことだらけ、という状態は決して悪いことではない。

むしろ、積極的に歓迎するべきことなのかもしれない。

実際、その質問者の方も「絶賛モヤモヤしているタイミングです」と言いながらも、客観的に眺めると、本当にとっても良い顔をされていたなあと思います。

その渦中にいることこそが、とても喜ばしく幸福なことなのだと思えるようになること。そうすれば、ありとあらゆることが成長の機会であり、我が師となるような気がします。

「鳥井さんはすぐにそうやって、ドMな提案をしてくる」と以前、呆れ気味に言われてしまったこともあったりはするのですが、でも本気でそう思うのです。

もちろん、ひとによっては「そんなのは現状肯定をしようとしているだけの、ただの欺瞞だ!」といわれるかもしれない。

そして、実際に半分はそう、欺瞞です。

置かれている状況を、少しでもより良く理解しようとする中で生まれてくる欺瞞。

でももう半分は、実際、そうやって受け取ることで、以前よりも自己がブラッシュアップしていく機会に変えられるなら(そしてそれが他者から与えてもらえるなら)、僕はそのほうが自分にとって明らかに大きな「利益」があると思います。

弁証法で言う、アンチテーゼを周囲が勝手に用意してくれているわけですから。

そのチャンスを生かさないなんて、本当にもったいない。

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だからこそ、解決や解消が困難な問いが立った瞬間ほど、人生の宝だと捉えたい。僕は割と真剣にそう考えています。

それが生まれさえすれば、人生の重要な転機や成長、その9割は既に実現したと言っても過言ではないような気もするから。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。