僕はずっと、狂人やヒールを支持するひとたちは、似たような価値観で生きているひとたちが多いのだと思っていました。

でも、実はその真逆なのかもしれない。

今日はそんなことを少しだけ書いてみたいなと思います。

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たとえば近年、YouTubeの勃興とともに、専門家や知識人に噛み付いてそれを論破したり、国家行政が定めたルールをあえて破ったりして、ヒールを演じるインフルエンサーが一定数支持されるようになってきました。

彼らの熱狂的なファンは、彼らと似たようなことを考えているひとたちだと思いがち。

実際、マスメディアでもそんな信者のようなファンが熱狂する姿を映し出し、スタジオのコメンテーターたちが「これが今の若者たちの姿だ」と物知り顔で語っていたりするのをよく見かけますよね。

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でも、彼らが活躍する理由はそれだけじゃないと僕は思います。

もっともっと、圧倒的にサイレントな支持者たちが世間には存在する。

もし友人同士で「支持するか、支持しないか」という話題になれば、必ずその会話の中の多数派の方につくような人々。

支持も、不支持も自らは絶対に表明せず、自分自身もどちらなのかがハッキリとわかっていない。

そんな圧倒的にサイレントな人々によって、彼らは支持されているのだと思うのです。

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他にも、見た目が派手で礼節を無視するかのように振る舞うタレントや、毒舌で何でもかんでも痛快に批判するタレントが支持される構造も同じ。

彼らにも熱狂的なファンとは別に、サイレントに支持している人たちがいる。

その人々は、普段からとても礼節を重んじていて、何事に対しても遠慮し、自分の本音が言えないものすごく地味なタイプだったりする。

つまり、真逆なのです。

そして、間違っても彼らのコンテンツをシェアなんかしない。

なんならきっと、そのインフルエンサーやタレントことをフォローさえしていないかもしれません。

ただ、深夜の時間を持て余したときなどに、彼らのSNSやYouTubeを見に行く程度。

でも、そのひとりひとりの何気ない行動こそが、彼らを支ている一番大きな基盤となっている。

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この事実を見誤ると、狂人やヒールが活躍する世の中の構造を正しく理解できなくなってしまう。

つまり、大胆不敵なひとたちが世間で跋扈するときは、その対極にいるひとたちが増えてきている証でもあるわけです。

過去にはナチスのヒトラーや、トランプ現象もきっと同じ構造だったのでしょう。

そして、これもきっとひとつの「ポスト・トゥルース」なのだろうなあと感じます。

求めているのは、理論的な正しさや客観的な正当性なんかではなく、

「私が生きているこの世界では決して味わうことができない快楽」

大衆が深層心理で無意識に見たいと思っているそんな世界を、まるでそれが真実かのように見せてくれるひとたちに自然と惹きつけられてしまっている。

言い方を変えれば、世間のトレンドは、そんな彼らのような大多数のサイレントの支持者たちが増えることによって初めて沸き起こる。

だからこそ、目立つひとたちばかり観察するのではなく、多くの人々の中で何がいま抑圧されている感情なのかをしっかりと観察することが、とても大事になってくるのだろうなあと思います。