今って、「問い直す」作業がとてもむずかしい時代だなあと思います。

自分が生まれる前、そこに参加する前から存在する「共同幻想」があまりにも強力過ぎて、そもそも幻想の存在時代に気づけない。

仮に、その幻想の存在に気づけたとしても、その幻想に従って輪を乱さないように行動したほうが、その集団の中では評価される。

「あいつはできるやつだ」と周囲からも重宝がられて「いい人」扱いされるようになってくる。

端的に言えば、幻想のルールに従って生きるほうが、精神的にも肉体的にも大きな快楽を味わえてしまう。

それは、会社でも、地域コミュニティでも、SNS上でも、人間が一定数集まる空間であれば、みんな似たような構造になっていると思います。

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そのような集団の中で「そもそも、これはただの幻想なのではないか…?」と、疑ってみたところで、自分の中に何か明確な代案が生まれてくるわけでもありません。

そんな問いや葛藤を隣の人に何気なく伝えてみても、「そんなことよりも、早く目の前の仕事を片付けて、飲みに行こうぜ」と諭されてしまい、終了。

多くの場合、このときに「幻想を疑うだけ無駄なのだ」と諦めるのですが、そんな諦めを促すような仕組みさえも幻想の中に、はじめから巧妙に組み込まれているところも幻想の凄いところです。

次第に、誰から指示されるわけでもなく、自分自身で自分のことを勝手に拘束し始めてしまう。

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だからこそ、意識的に「問い直してみる」習慣って、とても大事なことだと思うのです。

近ごろ僕は、このサロン内で平日の夕方に毎日コラムのようなものを書いているのですが、定期的にこの「問い直す作業」をしているように思います。

そうすることで、自分が本当は何を大切にしたいと感じているのかが、少しずつだけれども着実に見えてくる。

不特定多数のオープンの場に向けて、注釈や予防線だらけの発信をするのではなく、

具体的に顔と名前が思い浮かぶこの人たちに向けて、今自分が伝えたいこと、書きたいことを正直に敬意を込めて書き綴ってみる。

その積み重ねだけが、自分自身を発見することにつながっていくのだから、本当に不思議です。

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どこでもいい、自分が真剣に腹を割って問い直せる場所を持つことって、とても大事になってきていると思います。

10年前に、SNSをはじめとする「個人メディア」を始めることと同じぐらい、いま重要になってきていること。

当時、「個人の時代」の到来を信じて真剣に取り組んだひとと、「何をバカな」と一蹴して何もはじめなかったひとが、いま全く違う居場所にいるように。

この時代に「問い直す勇気」を持てたかどうかで、今から10年後に自分がいる居場所は大きく異なっているはずです。

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