NFTやFiNANCiEのコミュニティを筆頭に、最近また生まれつつある音声配信ブーム。

具体的には、コミュニティ内で、コミュニティメンバー同士、スタエフ(音声配信)を始めてそれをお互いに聴き合ってみよう!とする流れ。

これってかなりエポックメイキングな出来事だなと思います。

今回が第何次音声配信ブームに当たるかはわからないですが、少なくとも、これまでの「音声配信」ブームやその文脈とは、大きくその意味合いが異なるはずです。

従来と同じような文脈で捉えてしまうと、きっと見誤る部分も出てくるだろうなあと。

今日はそう思う理由について、このブログにも書いてみたいなと思います。

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まずはじめに、今回のようなブームの発端は地味に「AIの登場」がかなり大きいなと思っています。

音声で伝えられる有益な情報コンテンツなら、これからはもうAIが担ってくれる。

先日のオープンAIの発表を見る限り、自分専用の知識を与えてくれる音声アシスタントは、もう完成していて、僕らが使えるようになるのは時間の問題です。

ということは、もう人力の「知識」を与えてくれる音声配信系のコンテンツは終焉を迎えることは目に見えているわけですよね。

これは、インターネットによって広くレシピが無料で閲覧できることによって、まずい飲食店がなくなり、どこに行ってもおいしい味になったという話なんかにも、とてもよく似ている。

それよりも大事なことはきっとお互いの「物語」を共有していることなんだろうなと。

大切にしたい文化や価値観を理解した、顔見知りの飲食店やパン屋さんのほうがいいみたいな話です。

気心知れた仲や「世間話が通じる相手」であることが重要であって、相手も自分のことを認識してくれている空間、固有名で認められている空間に、時間もお金も投じられていく未来は目に見えている。

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じゃあそんな世の中においては、一体何が重要になってくるのか?

コミュニティ内における世間話や雑談、知り合いの知り合いであるかどうかのほうが、信頼に足ることになってきている状況が、いま間違いなく生まれつつあるなと思います。

今のところAIは、関係性を理解して、親切だったり愉快だったり愛嬌をもって語ることができない。「ノリ」や「空気」みたいなものを察知することは、良くも悪くも人間だけ。

もっと厳密に言うと、AIも確かにそれを分析できて、それをAIが言ったところで無価値なんですよね。

あくまで人間が、その「ノリ」や「空気」に言及することに、価値が宿るといえばわかりやすくなるかもしれません。

お互いにそれを認知し合っている「秘密」や「ノリ」を共有していることに、余人を持って代えがたいという固有名が付与されるようなイメージです。

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さらに、ここでもう一つの重要な変化は、経済圏の構築のされ方も、ここに来て大きく変わってきたということです。

これまではプラットフォームが中心で、そのフォロワー数や再生数に応じた広告費の按分するものだったのが、コミュニティ中心になると、もうそうじゃなくなってくるわけですよね。

独自通貨のトークンのようなものが生まれてきて、同じコミュニティメンバーに時間とお金を投じあって、そのトークンのような独自通貨をぐるぐると循環させて「交換する」ことのほうが、そこに価値が生まれるようになってきた。

言い換えると、そうやってコミュニティ内での関係性を丁寧に耕し、そこでトークンをぐるぐる交換させたほうが、広告に頼るよりも、結果的に自分たちに恩恵が巡ってくる可能性が高くなったわけです。

これは完全に、web3文脈の恩恵ですよね。

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つまり、今回の音声配信のブームは、スキルや知識の平準化と、経済圏の構築の構造的な変化の2つが、かなり大きい。

言い換えると、AIとweb3の登場により、知識や情報の優劣が薄れ、むしろ人間らしい世間話や、つながりが重視されるようになってきているということでもあるのだと思います。

逆に言えば、その「人間らしいつながり」をオンライン上でより加速させるのが「音声配信」だと気づかれた、ということだと思います。

決して、有益な情報を音声で配信して有名になろうぜ!稼ごうぜ!とかそういう話じゃなくて、コミュニケーションツールとして音声配信を用いようぜ!ということだと思います。

そのほうがオンライン上でもお互いに人間味を感じられるから。

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この点、携帯メールが流行り出したころの高城剛さんのよく知られた名言に「女子高生にとって最大のキラーコンテンツは彼氏からのメールである」があるけれど、

その彼氏のメールが対人関係だけでなく、コミュニティにも広がっていて、現代においてはコミュニティメンバーからの音声配信のほうが「キラーコンテンツ」としての役割を担いはじめてきているということだと思います。

メディア論のような話で言えば、朝日や読売などの全国紙はもうほとんど読まれなくなってきているのに、ローカルの地方紙のほうは、未だに丁寧に読まれているみたいな話なんかにも、とてもよく似ている。

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だから大事なことは、話している内容の有益性とか上手に伝える方法とか、そういう話ではなくて、もっと文脈的な物語を共有できるかどうか、が重要なんだと思います。

そして、それはある意味で内輪ネタなんです。

地元ネタみたいなものにも近い。出てくる地名、学校名、共通の知人友人の名前の話、まつりや行事の話などなど、同じ他人であっても、世間話としてを共有していると思えるということなんだろうなと思う。

そもそも人間には、そうやってコミュニティ内における物語の共有、時間の共有、それ自体が人間にとって安心感があり、本能的に求めているということでもあるんですよね。

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とはいえ、ここでとても注意が必要なのは、それは一歩間違うと「オタク大会」になってしまうこと。

古参が幅を利かせて、マウント取り合う感じに向かってしまう。それはどう考えてもよろしくない方向性です。

それは必ず、排他的になる。排除の方向に向かう。

だからこそ、作品への知識量のマウント合戦ではなくて、作品を通じて生まれるコミュニティを大切にする視点が必要になる。

その「世間」を共にどれぐらい大事にしているか、がきっと本当に求められていること。

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この点、先日、水曜どうでしょうディレクター・藤村さんが本当に素晴らしいブログを書かれていました。

藤村さんは日本全国に訪れながら、現地の水曜どうでしょうファンの方々と日夜お酒を酌み交わしながら、深く交流されている方なのですが、そんな藤村さんがご自身のHPのブログで以下のようなことを書かれていました。


少し引用してみます。

ゴールデンウィークにあちこちで寄り合いをやりましたけど、その時にね、何人かが言いにくそうにこんなことを言ったんです。
「もちろん今回のDVD買ったんですけど、実は見てないんですよ」と。
これにはハッとしました。そして「なるほど」と思いました。この人たちも正直なんです。
「我々と会うんだから感想を言えるように見とかなきゃいけない」とか「自分はどうでしょうが好きでいろんなイベントに参加してるんだから一応見とかなきゃいけない」とか、普通はそう考えるんだけど、この人たちは「DVDよりも今はこういう場にいることが一番楽しい」と、正直に言ったってことなんですよね。
どうでしょうのDVDは、それを自分が必要としている時に見るものであって、「見なきゃいけない」なんていう縛りがあって見るものではない。寄り合いやキャンプやキャラバンが楽しくて気持ちがそっちにいっているのなら、DVDで心を癒す必要などない、ってことですよ。
「それはとてもいいことだな!」と思いました。


人と人とが交流する場においていまとても重要なことであって、その信頼を担保に人が集まってくることは、本当に大きな変化だなあと思います。

自然とそこには「他人が大切にしている物語を大切にする」という「利他精神」も宿るわけですから。お互いに居心地が良くなるであろうという、直感的な期待も働くわけです。

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じゃあ、その中心にある「物語」は一体どんな「物語」を共有していることが理想的なのか。

それがまさに「水曜どうでしょう」のようなコンテンツなんでしょうね。

「水曜どうでしょう」は、観たことがある方ならすぐに想像がつくと思いますが、本当にずっと「包摂の物語」だなあと思います。

演者2人とディレクター陣2人の合計4名が常に楽しそうにお互いのことを散々に罵り合い、相手の言動を否定する、愚痴のオンパレード。でも、排除はしない。あくまで、包摂の中の否定なんです。

むしろ最大限の包摂を実現するための「ぼやき」だったりもする。

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その中心でもある大泉洋さんが全国区になっても、誰かを排除したり見捨てたりするような姿を過去に一度も観たことがない。

だからこそ、紅白歌合戦のような多数のアーティストが参加するような生放送番組であっても、大泉さんが司会であれば、国民は安心して観ていられるんだろうなと。

紋切り型のアナウンサーのように「進行のために」という理由で、丁寧な言葉を用いて強制的に排除をしたりなんかしないわけです。

現代の世の中には、丁寧な言葉づかいをしながら相手を慮っているように見せかけて、排除をする光景は、本当によく目にしますよね。

最近だと、水俣病マイク問題で露呈した差別意識なんかも非常によく似た話だと思います。

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お互いに本音を正直に言い合いながらも、常に包摂し付ける関係性。

決して相手を見捨てない態度。その敬意がコンテンツや、そのコンテンツのなかに関係性として描かれていると、それがファンやコミュニティメンバーにも伝染する。

その空気感や価値観に共感するひとたちが集まるのだから、そこには包摂の空気がひろがって、誰にとっても居心地が良くなるのは当然であり、これもまた、敬意の問題です。

お互いに尊重し合って、敬意を持ち合いながら、それを大事にしたいと思える人たちが集まると、本当にすばらしいコミュニティがそこに生まれてくる。

最後は「音声配信」から話がだいぶずれてしまいましたが、コミュニティメンバー同士で音声配信を始めるときに大切にする視点は、このあたりなんだろうなあと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。