毎日、波の音で起きて、夜は月の下で眠る。窓から見える海の色は、毎朝、毎分、刻一刻と変化していく。「何も変化していない」という焦りとは裏腹に、地球の表情はずっとずっと変わり続けている。

満月だった月が、半月に近づいてしまうほどの時間を、ここ、児島で過ごした。自宅以外で、こんなにも長く同じ場所に滞在したのは、初めての経験だった。海外旅行に出ても、宿泊先は、転々としてしまうタイプだったので、旅先で同じ場所に留まり続けることは、稀だった。


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「生き急いでるよね」と言われて育った人間だったから、こんなにも、うしろめたさを感じずに、ただただ、目の前に起こる現象を待つことができる自分に驚いている。


"変化を求めること"や"生き急ぐこと"は、マイナスなわけではないけれど、そうしてしまう要因となる「満たされないもの」が眠っていることがある。


そんなことを考えて数年が経った今、すこしずつ、生き急ぐことから距離をとって、適切に「満たされたいもの」に目を向けられるようになった。同時に、児島での生活を通して、私が満たされたかったものはなんだろうって考えていた。

「愛情が欲しいから、お金を稼ぐ」。というような構造が生まれてしまうのは、昨今の大きな命題だと思う。


ネットワークビジネスにハマってしまう後輩に、話を聞いたことがある。よくよく話を聞くと、彼女が欲しかったのは、お金そのものでも、お金を稼ぐスキルでもなく、誰かに愛されたい気持ちだった。(臨床の現場では、こういうことはままあるらしいし、語り尽くされてきた話だけれど、それでも自分で考えて感じてみたかった。)


そんな話をよく聞くようになってから、なんで、こんなことが起こってしまうんだろう、みたいなことをしばらく考えてきた。しかしながら、なぜこういう事象が起こってしまうかは、十分に語り尽くされていて、それでも、どうやってまっすぐな気持ちに気付けば

いいのかが難しい。


だから、そのヒントになりそうな写真の話をしていきたい。


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内側から満たされたいものを考えるとき、私は夢中でシャッターを切っていた。フィルム写真は、とても素直だ。撮影してから現像するまで、言い訳が効かない。

現象の光に目を向けて、どこまでも残像を追いかけて、攻防を繰り返し、気付いたら、心地よく疲れ果てている。


この素直さ、まっすぐさが、思考の範囲では、削ぎ落とされてしまう。


論理的思考、成果主義などの名の下に、見落とされてしまう自分の気持ちを、ずっと優しく温めていてくれる、そんなフィルム写真から、またひとつ、まっすぐに世界を見ることの楽しさを学んだ。


なにも、うまく気持ちを伝える技術とか、コミュニケーション術とか、そういうものではなくて、ただ、まっすぐな自分の気持ちを受け入れることから始めようと思った。

大切な人ほど、好きな気持ちを伝えるのが難しい。だから、こうして、思考になる前にたくさんシャッターを切っている。


あいみょんも言っている「愛を伝えたいだとか、臭いこと考えて待ってても、だんだんソファに沈んでくだけ。」だって。


自分の気持ちに言い訳がましくなった時は、黙ってフィルムで写真を撮ってみるといい。