最近よく考えることがあります。

「次を見据えること」と「未来に希望を抱くこと」は似ているようで、全く異なるなあと。

いずれ必ず訪れるであろう未来に希望を抱くこと、それは胆力を持ち、苦境を乗り越える姿として、時に美しく見えることもあるけれど、それは期待値にすがるギャンブルと変わらないと思います。

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一方で、同じように未来の変化に敏感になりつつも、次を見据えながら、今なすべきことをなすことは、ものすごく重要。

これが、本当に紙一重だと思います。

ポイントは、意識のある所が今なのか、未来なのかの違いだと僕は思います。

薄らぼんやりとした未来に意識を飛ばして、そこに淡い期待を寄せつつ、今をなんとなく生きるのではなく、

意識はしっかりと今ここにおきつつ、近々訪れるであろう未来の変化を見据えて、今の自分ができることが何かを見定めて、淡々と行動していく。

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近ごろは特に、「コロナ後の社会」について広く語られるようになりましたよね。

メディアでは「有識者」と呼ばれるようなひとたちが、好き勝手にこれからの社会を妄想し、過大評価しているような場面も増えました。

我田引水と思われるようなポジショントークも目立ちます。

また、数年前から日本でもSDGsに関する議論も活発になってきました。

人類が目指すべき理想郷的な姿が広く語られるようになってきて、実際にそこに向かって動き出す社会の機運も日に日に高まっています。

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この時に「あー、そうか、これからそんな世界訪れるのか。偉い人たちがそう言っているから、もう大丈夫。」

そう思い、今の自分の置かれている立場に安住して、それを待ち望んではいけないと思うのです。

10年後の2030年に、本当にその理想的なSDGsに描かれた世界や、コロナ後の世界は訪れるかもしれない。

でもそこに期待を寄せすぎて、2020年の「今」を疎かにすることは間違いだと思うのです。

なぜなら、これからの10年間という人生の貴重な時間を漠然と過ごしてしまうことになるから。

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だからこそ、あえて「未来に希望を抱くな」と言いたいです。

じゃあ、一体どうすればいいのか。

僕は、自分自身が変化を体現する側にまわることが重要だと考えます。

自分自身がその変化を体現するために、今の自分には一体何ができるのかを常に考え続けて、行動し続ける。

それが、次を見据えて行動することの本質だと僕は思います。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。