2020/07/01 10:33
消費者ひとりひとりが考えることでしか、資本主義下での消費の在り方は変わらない。
今日からレジ袋が有料化されますね。
それに合わせて、各社がここぞとばかりにエコバッグを販売しています。
この現象に対して、なんだかモヤモヤしてしまいます…。
その理由について今日は少しだけ考えてみようかなと。
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思うに、これまでもこうやって社会的な正しさから、ニーズ(らしきもの)が作り出されて、それを受けたマーケティング商品が大量に生み出されるという事例はたくさんありました。
そして、消費者は自分の中にもそのニーズがあると信じて疑わず、盲目的にそのマーケティング商品を買い続けてきた。
僕には、これまでずっと続いてきたこの一連の流れこそが、大量のビニール袋を生み出してきた原因だと思うのです。
つまり、今の状況がものすごく本末転倒に思えてしまう。
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こうやって書くと、企業側が加害者であり、消費者側が被害者のように見えてしまい、
「企業が悪い!あいつらが暴利を貪っているのが原因だ!」となりがちなんですが、
企業側だって、消費者側のニーズに応え続けてきた結果でしかないと言えます。
消費者側が彼らのマーケティング商品を買い支えない限り、企業は存続し得ないのですから。
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だから、今の政治を陰謀論だと信じて批判するのは間違っているのと同様に、提供する側の陰謀だと勝手に判断して批判するのも違う。
彼らも決して明確な悪意があるのではなく、単純にどうすればいいのかわからないし、知らないんだと思います。
企業としては、とりあえず消費者側が求めるものをつくりつづけて、それを売り続けることが正解となっており、企業に繁栄をもたらしてくれる唯一の手段なわけですから、それに粛々と従っているだけです。
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つまり「どうすることが正解なのか?」その本質が企業側にも消費者側にも、誰にもわからないことが問題なのでしょう。
そうやって、わからない者同士が、持ちつ持たれつの関係の中で互いの神輿を担ぎ合い、とりあえずお金の匂いがする方向に神輿を進めてきた、それが高度に複雑化した資本主義社会です。
そして、この流れはこれからもしばらくは変わることはないでしょう。
変数はさらに増え続けて、本当に誰にもわからないところに到達するはずです。
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じゃあ、僕らはただ、その資本主義の成れの果てを見守るしかないのでしょうか?
僕はそうは思いません。
わからなくても、わからないなりに考え続けることはできる。
「レジ袋が有料化された。だからマーケティング商品として大量に作られたエコバッグを何も考えることなく盲目的に買おう」
ではなく、
「自分にとって、これは本当に必要なのだろうか…?」
そうやって、ひとりひとりが一歩立ち止まって考えることでしか、「何か」は変わっていかないのだと思います。(もちろん、何も変わらないかもしれない)
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そしていま本当に必要なのは、そんなことを共に考える仲間であり、同士だと思うのです。
ひとりの頭の中で考えたつもりになるのではなく、目の前の相手にもわかりやすく自分の考えを伝えようと言語化することで、気づけることも山ほどある。
そうやってお互いの考えを言語化し合う中で、知識や知恵を持ち寄ることにもつながり、ひとりでは考えつかないところまで考えられるようになる。
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このように、企業や政治家に任せるのではなく、あくまでひとりひとりが自分の力で考える必要があるのだと思います。
お腹が減ったときに、誰かに代わりに食べてもらってもなんの意味もありません。
それは「考える」においても、全く同じことです。
誰かに考えてもらっている間は、いつまで経っても何も変わらない。
政治が、政治家側から変わることがなかったのと同じように、消費が企業側から変わることは絶対にあり得ません。
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こんな風にひとりでも「自分で考えてみよう」と思えるひとが、この世界にひとりでも増えることを願ってやみません。
このWasei Salonという場も、少しでもその一翼を担うことができたら幸いです。
参照:他者を救うことは不可能だが、共に生きることはできる。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/7c5840365bc8
今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても、何かしらの参考となったら幸いです。