昨夜、Wasei Salon内で「オーディオブック読書会 vol.3」が開催されました。

その中で盛り上がったテーマのひとつが、「偏見を持っている世界に対して、バイアスを外すためにはどうすればいいの?」という問いです。

いま、従来的な正しさが音を立てて崩れ去ろうとしている中で、多様性をどのように捉えていけばいいのか、そこに悩んでいる方もきっと多いはず。

ご多分に漏れず、僕もそのひとりです。

その上で、僕が日頃から意識していることを、このブログにも少しだけ書き残しておこうと思います。

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僕は、主に二つのことを意識しています。

ひとつは「知り合いになる」。

ふたつめは「フィクションに触れる」です。

まずひとつめの「知り合いになる」とは、実際に現場に足を運び、自分自身からコミュニケーションをとってみるということです。

「ある集団」として捉えてしまうのではなく、目の前にいる◯◯さんとして、固有名詞で向き合ってみる。

このように考えるようになったのは、明確な原体験がありまして、それが中国で働いていた際、反日デモが過激化した場面に出会したときです。

参照:反日デモ最大級のあの日、僕は北京日本大使館の前にいた。 http://inkyodanshi21.com/asia/china/2522/

このとき、デモの報道を受けて中国人に対して心ない言葉を発していた日本人は、明らかに中国人の知り合いがいないだろうなあと思える人たちでした。

お互いに、「中国人」や「日本人」という曖昧な集団として捉えているから躊躇なく攻撃ができるのだろうなと感じたのです。

いま自分の目の前にいる「◯◯さん」という固有名詞で考えられるようになると、人種などで十把一絡げにしてはいけないと思えてくるはずなんですよね。

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また、そうやって実際に知り合いができて、相手の立場に立てるようになると、相手の目線を通して、相手の見ている景色を見られるようになります。

そうすると、「あー、だからか!」と新しい発見も得られるようになる。

自分の立ち位置や目線を変えることによって、「なぜそのように考えてしまうのか?」相手の中に存在するバイアスが理解できるようになるし、同時に自分中に無意識のうちに存在していたバイアスにも気づけるようになるのです。

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とはいえ、海外など物理的に遠い場所や、興味本位で足を踏み入れてはいけないような危険な場所、時間的に乖離がある過去の場所などなど、

そもそもコミュニケーションをとることが難しい場面もあります。

そんな時は、映画などフィクションの作品を通じて、想像力を働かせてみるようにしています。

映画や小説などのフィクション作品であったとしても、全力で感情移入して受け止めることができる強さ(言い換えれば、すぐに騙されてしまう弱さ)が人間にはある。

そんな人間の想像力を最大限活用してみるんです。

登場人物たちの心境や経験を追体験してみることで、偏見をなくしたり、他者理解にもつながったりする。

そしてまさに「教養」を深めていく重要性は、ここにあるのだと感じています。

参照:人生を楽しむための教養。 http://inkyodanshi21.com/blog/12750/

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以上、僕が日頃から意識していることになります。

そして常々、「フットワーク軽く生きよう!いろんな作品に触れてみよう!」と思う理由もここにあります。

これからもこの方法を駆使しながら、自分の中の教養や胆力を養っていきたいと思います。

今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの参考となったら幸いです。