「前田さんは何をやっている人ですか?」
そう聞かれる度に胸がキューっとなる。
ぼくは自己紹介が苦手だ。
「確かに何をやっているんだろう?」
そう思ってFacebookのプロフィール欄を覗いたらこうだった。
25歳までは「陸上のコーチ」という明確な肩書きがあった。
その仕事だけしかやっていなかったこともあったし、名刺交換をするだけで終わっていたから自己紹介は簡単だった。
〈イイ歳して定職に就けばいいのに〉
〈結婚してそろそろ子どもも欲しいでしょ?〉
そんな空気感がある社会の中で「自分は何者なのか?」を端的に伝えることができる「肩書き」って便利だなと痛感している。
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そもそも"なりたい肩書き"なんてないのだと最近気が付いた。
書きたい欲望はあるけど、ライターになりたいわけじゃない。
大切な情報を届けられるようになりたいけど、広報になりたいわけじゃない。
やりたいことをやり続けて残ったのは「理想」だけだった。
いろいろな世界を知り、行動し、情報を届け発信や居場所を作ることで、生きるための選択肢を増やす。選択肢とは可能性を広げることであり希望だと思う。
そして生きづらい世界をゆるやかな心の繋がりで生きやすい社会に変えていきたい。
「一人ひとりが自由に生きていける社会をつくる」
それが自分の理想。
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・・・とか理想ばっかり考えるの飽きた!
(コロナの暗いニュースも飽きたわ!もっと猫とかパグとか映せ!)
えーい、もう作っちゃえ!!
ということで、肩書きをつくってみた!!
肩書きは【掬ぶ(むすぶ)人】
「むすび」は映画・君の名は。に出てくるフレーズで。
『土地の氏神さまのことをな、古い言葉で産霊(むすび)って呼ぶんやさ。この言葉には、いくつもの深いふかーい意味がある』
『糸を繋げることもムスビ、人を繋げることもムスビ、時間が流れることもムスビ、ぜんぶ同じ言葉を使う。それは神様の呼び名であり、神様の力や。ワシらの作る組紐も、神様の技、時間の流れそのものを顕しとる』
『よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それがムスビ』
"人の出会いも、時の流れも「結び」、出会いも別れも再会も「結び」"
人との繋がりはとても大切だけど、”繋がり(やコミュニティ)”は表面的なものではなくて、”心から繋がってこそ”が本当の繋がりだと思う。
様々な色や太さの糸や紐が絡まったりほつれたり解けたり、心から繋がりゆるやかに広がっていく。そんなモノが僕が作りたい繋がりでありコミュニティ。
身の回りにいる友人やお世話になっている人の多くは、ごく自然な流れで出会い話し、いつの間にか繋がってしまった人が多い。その結果”よく素性を知らない人”のままでも、出会えば挨拶をしてご飯を一緒に食べたりする。素性は知らなくても波長が合うからお互いを気にかけたりほっといてくれる自然体さがとても居心地が良い。
肩書きや仕事ではなく「人が人のまま人として繋がっている」
そうやって繋がった人の中で存在することは心地が良い。
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あらゆる”掬び”を通して目指すこと。
過去と未来
会社と会社/人など
若者と高齢者
健常者と障害者
生き方と働き方と暮らし方
生きることと死ぬこと
この世に存在するあらゆる境界線を、利害関係を抜きにした人と人との繋がりの力で曖昧にしたい。自分は医療の専門家ではないけど、そうすることで心身の健康(肉体的/精神的/社会的)にも繋がると思っている。
そんなこんなで現在は、一昨年インターンでお世話になった「soar」さんと、神戸にある介護施設「はっぴーの家ろっけん」のSNS運用をお手伝いしている。はっぴーの家では突然始まるプロジェクトに出くわしそのままゆるやかに巻き込ませていただいている。
https://soar-world.com/
https://heisei-kaigo-leaders.com/activity/KLF201904
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いま出来ることはPRやイベント企画や運営、あとはその他なんでも屋。
既存の肩書きで言うと、「コミュニティマネージャー」「コミュニティコーディネーター」「コミュニティデザイナー」に近いと思う。
だけど既存の肩書きに縛られず、”キャッチコピー”や”2つ目の苗字”のような感覚で【掬ぶ人】【掬ぶ】と言う言葉を育てていこうと思う。