先日、こんな記事を読みました。
https://twitter.com/hirofumi21/status/1374866898563690497?s=20
このような状況って、インテリア雑貨に限らず、至るところで散見されます。
だから、この状況に対して違和感を抱くひとは大衆の倫理観や道徳観に訴えかけようとする。
でも、僕はそれは根本的な解決にはつながらないと思っています。
そのような禁欲的な発想に共感するひとは、世間ではほんの一握りのひとたちに限られるから。
それよりもむしろ、人間の「真の欲求」を発揮させる方向に振り切ったほうがいい。
具体的には、「本物を楽しむうしろめたさ」を世間から排除して、本物を目一杯楽しむことを推奨していく。
今日は、そんな一風変わった意見を少しだけ書いてみようと思います。
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この点、僕はずっとアパレル分野に注目してきたため、アパレルにおいてどのような変化が起きてきたのかを記してみたいと思います。
具体的には、なぜUNIQLO一強の世界になったのか、です。
「本物を楽しむうしろめたさ」は生んでしまっている要因は、主に以下の3つが挙げられるかと思います。
まずは、古参の存在。
これは古くから存在する問題のように、いつの時代も新規参入者は古参からバカにされてしまいます。一番最初に新規参入を妨げる要因となる。
次に、過剰なコスパ意識。
高度経済成長期のように右肩上がりの経済成長が期待できない社会では、一番賢い選択は、より安く、より本物に近いものを手に入れられるヤツが賢い消費者であるという観念が蔓延する。それが近年急速に高まってきた。
最後に、同調圧力。
「身の程を知れ、わきまえろ、それは贅沢だ、環境に良くない」などなど、世間の価値観を他人が押し付けてくる同調圧力も、SNSなどを通じて急速に高まってきた。
「UNIQLOでいい」から「UNIQLOがいい」という雑誌のキャッチコピーの変化なんかは、それを顕著に表しているかと思います。
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結果として、これらの要因が相まって、洋服を楽しむことにうしろめたさを感じる人が増えてしまい、以下のような負のスパイラルに陥るひとが一気に増えました。
洋服に興味を持てない→知識が深まっていかない→愛着を持てない→とはいえ、裸では生きていけないため、まわりの意見(広告)に流されて、その都度テキトーなものをたくさん買ってしまう。
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この点について、哲学者の國分功一郎さんの下記の記事がわかりやすく、とても参考になるかと思います。
https://www.gqjapan.jp/culture/column/20150601/dialogue-with-koichiro-kokubun
簡単に要約すると、
「贅沢としての浪費をもっと楽しめ。ただし、情報としての消費はやめろ。浪費は実態があるため、いつか『満足感』が訪れるけれど、消費は『情報』を追っているだけだから、際限がない」のだと。
詳しくはぜひ本記事を直接読んでみてください。
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「環境に配慮されたものを使おう!」
そんなSDGsに代表されるような現代の主流な啓蒙活動は、もしかしたら実は逆効果なのかもしれません。
そこで行きつく先は、昔ながらの社会主義のような彩りのない灰色の世界。
それよりもむしろ、本物に目一杯触れること。
その楽しみを伝えるために、原点に立ち返る。
本物に触れることにうしろめたさを感じない状況(社会)をつくっていくことのほうが、結果的にコピー品を大量生産、大量消費する世界から脱却することにつながるのかもしれません。
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でもソレができないのは、國分功一郎さんも上記の記事内で語っているように「現代人が忙しすぎる」からだというのは大きな要因のひとつだと思います。
つまり、自分で考えて吟味して、選び抜く時間がない。
まずは、徹底的に暇にならなければいけない。ブルシットジョブから手放していかなければならない。
そのためにはどうすればいいのか、ここで書き始めると長くなりすぎてしまうため、それはまた別の機会にこのブログで考えてみたいと思います。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとって、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。