近年、至るところで「ブランドとは何か?」という議論がなされています。

その中の結論としてよく導かれる解として、

「機能、デザイン、哲学」この三拍子が揃って初めてブランドになるという話が語られがちです。

でも、僕はここに何かが決定的に足りないように感じています。

実際にこれまでのブランドと呼ばれるものを分析すると確かにそうなのかもしれないけれど、これからのブランドになるものは、きっとこれだけでは物足りない。

じゃあ具体的にそれは何なのか?

それがきっと「余白」なのだと思います。

消費者やユーザーのための「関わりしろ」であり、「努力しろ」でもあるとも言えそう。

あえて完璧に創り上げない、それがこれからのブランドに求められる所作なのではないか。


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そんなことを漠然と考えていた時に、たまたまサロンメンバーの方にオススメしていただいて、以下の動画を見ました。



この動画内で「能動的不在」という概念が語られていたのです。

能動的不在とは、意図的に作り出された「隙間」のこと。

作り込まれすぎていない、受け手側の解釈の余白を残す。

引き算で導かれる相手のポテンシャルを引き出す行為と言い換えてみてもいいのかもしれません。

日本の文化には、他国の文化とは異なり、この能動的な不在が多いと動画内で語られていました。

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具体的には、日本庭園の「借景」という概念もそれにあたるそうです。

日本庭園内の景色だけで完結させず、あえて背景の大自然まで取り込んでしまって、観る側にその解釈を委ねてしまう。

また、よりわかりやすく動画内で語られていたのは、江戸末期のからくり人形「弓曳(ゆみひき)童子」の話です。



からくりを使って、人形の顔を動かすのは簡単だけど、日本の「弓曳童子」はあえて顔を動かさないようにつくられているそう。

その理由は、あえて顔の表情を一切変わらないことによって、実際に的に矢が当たれば、見ているひとにはその無表情の顔がスマイル(ポジティブ)に見えるし、矢が外れればアンクシャス(ネガティブ)に見えるのだと。

それが能動的不在であり、「非完結性」とも言い換えることができるそうです。

気になる方はぜひ上記の動画をご覧ください。1時間38分ごろから語られている内容です。

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僕はこの話がすごくおもしろいなあと感じました。

まさに、最近考えていた「余白」の重要性そのものではないかと。

何かしらのブランドや文化を創出したければ、「機能×デザイン×哲学」の中に、いかに意図的に「隙間」をつくり出すことができるのか。

そんな「能動的不在」が、これからはより一層求められるのだと思います。

これは日本人が大好きな引き算の美学。


きっとグローバルでも戦える議論にも発展していくのだと思います。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。