昨日、Podcast番組「オーディオブックカフェ」の年末特別編の後編が配信されました。
今回のテーマは「2024年の個人的なオーディオブック大賞」ということで、F太さんと僕で1作品ずつ、今年一番ご紹介したいと思う作品をそれぞれに発表しました。
まず、F太さんがご紹介してくださった作品は、河崎秋子さんが書かれた『ともぐい』という小説です。
第170回直木賞受賞作で、僕も今回F太さんに紹介していただいて、初めて聴いてみたのですが、とってもおもしろかったです。
明治後期、北海道の猟師がクマと格闘する物語なのっですが、『バガボンド』×宮沢賢治『なめとこ山の熊』×『ゴールデンカムイ』を足して3で割ったら、この物語になりそう。
このあたりの作品にご興味がある方はぜひに。
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そして、僕がご紹介した作品は、既に言わずと知れた三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』です。
いまさら僕が紹介をしなくても、既に23万部以上売れているとのことなので、不要かなとも思いつつ、でもやっぱり2024年に、この作品をオススメしないのは嘘だなあと思ったので、改めて丁寧にご紹介してみることにしました。
それぐらい現代の時代性を反映し、今日性もあるような作品だと思っています。
そして、タイトル通り、オーディオブックに最適。紙では本は読めなくてもオーディオブックでなら聴けますからね。
年末はこの本を聴きながら、2024年という年が社会にとって、そして自分にとってどのような年だったのかを、ゆっくりと振り返ってみて欲しいなあと。
何はともあれ、ぜひ直接Podcastの本編を聴いてみてください。
で、今日は、この配信の最後にF太さんが質問してくださった「オーディオブックを読む習慣を身につけるために、大切なことは?」という話から派生し、習慣をつくることの重要性、そしてその習慣の上にできあがるコミュニティ感みたいなものを、書いてみたいなあと思っています。
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まず、オーディオブックを聴くための習慣を身につけるためには、散歩や掃除など、何でも構わないので、身体を動かすような必ず定期的にやってくる習慣、そのうえに「聴く習慣」を同時並行的に走らせることが大事だと思っています。
そうすることで、オーディオブックを聴く時間をわざわざつくろうとしなくても、自然と聴く習慣は生まれていく。
もちろん、通勤通学の移動時間なども最適です。
「ながら聴き」の習慣みたいなものは、youtubeのおかげで近年ものすごく浸透しました。
あとは、その習慣の中にyoutubeとはまた別の選択肢として、オーディオブックやPodcastを取り入れてみて欲しいなあと。
そうすると、まったく見えてくる世界が変わってくるなあと思います。
具体的には、深い問いへの耐性がついてくるようになる。ここがとても大事なポイントだと思います。
次第に、オーディオブック作品や対話型のPodcast番組にもっと触れたくて、散歩に出るようにもなってくる。
この習慣は、本当に唯一無二の習慣になると思いますし、この日々の積み重ねの時間が、のちのち自分に複利のように効いてくると思います。
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で、ここまではリスナー側の変化や得られることの話ですが、僕が最近思うのは、音声の配信を通じて生まれてくるコミュニティが、また映像のソレとは全く異なるなと思っていて。
ここが、意外と語られないけれど、非常に重要な視点だなと思っています。
もっと具体的にいうと、YouTubeがいまPodcastの代わりに用いられている時代だけれども、それでも「音声だけ」で配信する理由みたいなところです。
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以前、パーソナル編集者・みずのさんがおっしゃっていましたが「実際にフォロワーの方に直接会ったときに一番言及されるのは、Twitterでもnoteでもなく、Voicyである」と。
この話は、本当に僕も強い実感があって、たぶんそれぐらい「距離感」が全く他のメディアと異なると思うんですよね。
確かに、youtubeでも似たような反応や、コミュニティ感は出来上がるかもしれないけれど、でもそれはどこかマスメディア的、テレビ的な感じで、コミュニティというようりもイベントに近い距離感のものになりがちだなと思います。
これは、いつも本当に不思議だなあと思います。
やっぱり、映像で観てしまっているがゆえに、どこか適度な距離をおいてしまうのでしょうね。「テレビで観ていたあの有名人に会えた!」みたいな感じとなり、距離を置かれた結果のズレが生じやすい。
でも、音声だけだとコミュニティとしての深まり方、最初からその距離感がまったく異なるんです。
そして、実際にそうやって来てくれる人には「ここまで伝わっているんだ!」という感動なんかもあったりするなあと感じています。配信している側からすると、これが本当に大きい。
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昔ながらのテレビ番組主催のイベントと、ラジオ番組主催のイベント、その違いぐらいに大きな差がある。
そうすると、そうやって集まったひとたちの商品やサービスも「ファングッズ」として売れていくのではなくて、もっとその深い想いや価値観に共感して買ってもらえるなあと思っています。
改めて商品の説明する必要がない。既にしっかりと伝わっていくから、あとは確認するように購入してもらえるし、そこには不一致は生じにくい。「やっぱり良かった!」となりやすいです。
ここもきっと、あえて映像としての余計な情報が入ってこないことは大きいのだと思っています。
僕がディレクターとして携わっているイケウチオーガニックさんと坂ノ途中さんのPodcast番組「なんでやってんねやろ?」なんかは、まさにそのような好循環が実際に回り始めているなあと思っています。
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最近、僕もVoicyでロングインタビューコンテンツを公開しましたが、おかげさまでこちらの有料配信も、多くの方に聴いてもらっています。
そして、実際に聴いてくださった方々の感想も本当にありがたいものばかり。
こんな風に聴き込んでもらえて、しかも言語化してもらえるなんて、最初は予想もしていなかったので大変光栄です。
もっと嬉しいことは、そこから僕の話だけではなく、あの配信の中に登場していたおのじさん、タオさん、なつみさんなど、Wasei Salonメンバーとのコミュニティ感のようなものが伝わっていたことも本当に嬉しい。
こうやって音声だけで聴いてもらえれば、たしかに伝わるものはある。これと全く同様のものが、youtubeに映像として公開されていても、決してこういう反応は得られなかったように思います。
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この点、ウェブメディアを運営していたときには視覚情報も多かったから、正直な話、どうしてもそのヴィジュアルイメージに引きづられて入ってくるひとたちもかなり多かったなと思っています。
特に「丁寧な暮らし」文脈が流行っていた時代でもあったので、そうすると余計に、そのビジュアルに惹かれて入ってきた人たちに、自分たちの想いみたいなものが誤解されることも多かったなあと。
音声だけの配信の場合、これがお互いに生じにくいんですよね。
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ここまでの話をまとめると、写真や映像は、確かに広く行き渡るし、youtubeのアルゴリズムの影響で遠くまで届く。
でも、それは裏を返せば、有象無象に届きやすいし、ヴィジュアルイメージ先行型になりやすい。そのようなビジュアルに惹かれやすいひとたちは、どちらかと言えば、深く考えるということを日常的に行わない方々が多い。
一方で、音声の場合は狭く深く刺さって、最初から想いや価値観を受け取ってもらいやすい。
もちろん、ここでどちらが良い悪いの話をしているわけではなく、一長一短です。
でも昨今は、Youtube一択のような話になりがちで、映像なしの「ながら聴き」も、もうyoutubeだけでいいという話になりがち。
でも、今日のような理由から、僕はやっぱり音声だけの魅力ってまだまだあると思っています。
逆に言えば、映像系は撒き餌のように広く届いて、そこから不一致を排除して選別していくという順序をたどりがちだし、そこでのコミュニケーションコストも生じやすい。
一方、音声では、最初から深まっている状態で出会えることのほうが、ヘルシーな出会いになりやすいなあと思っています。
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音声のみのメディアから始まるコミュニティ感のようなものは間違いなくあって、そのひとたちがオーディオブックなんかも日々活用してくれていることに意味がある。
ひとつの事柄を深く考え続ける、問い続けるだけの胆力を持ち合わせてくれることになるわけですからね。
そこに生じてくるゆるやかなつながりは、僕は唯一無二だと思っていますし、そのようなコミュニティを淡々と丁寧に作り出したいなあと思っています。これが、とても理にかなったサイクルだなあと思うからです。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2024/12/07 17:29