最近、ジャーナリスト・佐々木俊尚さんもTwitterやVoicyで「仮想通貨」や「ミームコイン」について紹介するようになりました。


いよいよ、今回の仮想通貨バブルも、一般層を巻き込んだ本格的なバブル相場の様相を呈してきたなあと感じます。

特に佐々木さんがTwitterでご紹介していた、以下のForbesの記事は、仮想通貨やミームトークンを普段追っていないひとでも、読んで理解することができる、とてもわかりやすい内容になっていたかと思います。

ご興味がある方は、ぜひ一度読んでみてください。


今日はこのミームコインの盛り上がりと、その裏側にある若者たちの絶望みたいなものを、自分なりの視点で改めてこの場で考えてみたいなあと思います。

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この点、数ヶ月前に僕はミームトークンは「デュシャンの泉」みたいだという話をこのブログで書きました。


その意味するところは、中身が空っぽであることが、逆にアンチテーゼというか、むしろアートのように昇華される構造にあるという意味です。

そして、男性用の小便器という大量生産された中身が空っぽなものが、アートに昇華されるためには、そこには圧倒的な「機運」みたいなものが必要だと思います。

それは、それまでの文脈や景気の変化の問題なわけですよね。

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たとえば、誰もがわかりやすいところで言えば、江戸末期の「ええじゃないか」もきっと似たようなものだったのだと思います。

現代を生きている僕らからすると、「ええじゃないか」なんて本当にとてもくだらないものに感じる。

平和な時代に生きる僕らが、教科書に描かれる「ええじゃないか」の挿絵を見ながら、「どうしてこんなにもくだらないものに熱狂が集まっているのか」と理解不能だと感じるはずなんです。

でも、いざ2024年末、こういう時代に入ってくると、そりゃあ「ええじゃないか」が起きるよなあということを身を持って体験し始めるわけですよね。

また、その熱狂や盛り上がりを、ネット上で表現し体重を乗っけるためには、そこに金銭的価値が紐づいてくることもよくよく理解できる。

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このように、未来の視点や神の視点から眺めると、今のミームコインも「あんなものは、ただのチューリップバブルと一緒だ」と揶揄することはとても簡単なわけです。

でも、そこにはその時代における必然性も、間違いなくあるわけですよね。僕は安易に同調はしないとしても、この部分を見逃したくないなあと、いつも思います。

これは例えば、三宅香帆さんが『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で話題にして一躍有名になった映画『花束みたいな恋をした』の「主人公が働きすぎるとパズドラしかできなくなる」という話なんかとも一緒じゃないかと思います。

あまりに仕事が忙しすぎて、虚無が蔓延ると、その先にはソシャゲしかできない自分がいる。

その描き方のリアルさが、今の若い子ひとたちにあれほど刺さったということですよね。

でも、その現象を将来の視点や神の視点から眺めてしまったら、とても滑稽に見えてしまう。

「いや、普通にゲームやる時間あるんだから、好きな本を読めよ」って言えてしまう。そのズレみたいなものと非常によく似ているなと思います。

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つまり、ここまでの話を一旦まとめると、若者たちにとって切実な絶望だからこそ、ミームコイン(トークン)に託すしかないという構造が、ここにはあるなあと思うわけです。

このあたりは、映画『ダムマネー』にも、非常に上手に丁寧に描かれているように思います。

ダムマネーは、アメリカでおきた「ゲームストップ株事件」を題材に作られたフィクションの映画ではありますが、あの機運を作り出した一人ひとりの若者たち、そのなんとも言えない生きづらさや、それが集合体になったときの熱狂みたいなものが本当に上手に描かれていたなあと思います。

将来への不安、こんな怪しいものでも、夢や希望を託したくなる気持ちみたいなものを、非常に上手に描いていました。

そして、実際に起きたこと自体は、ゲームストップというミーム株の暴騰という、一般的にはものすごくバカバカしいとされることでもある。

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あと、これは完全に余談なのですが、映画『ダムマネー』にあって、今の国内のミームトークン界隈にないものは「共通の敵」だなと最近よく思います。

今の国内のミームトークン市場には、ガチホの反対、つまりすぐに手放す「ペパハン」しか共通の敵が存在しない。

でも、それっていうのは、個々人にとっては明日の我が身でもあるわけですよね。投資をする以上、誰もが必ずどこかで出口戦略を考えなければいけない。

明日は我が身を、そうやって村八分にするというのは、左翼思想などと同様に過去の歴史の中で、何度も何度も繰り返し行われてきたこと。

でも本当は、もっと大きな敵、圧倒的な巨悪が必要であって、ダムマネー(ゲームストップ株事件)では、それが「ヘッジファンドの空売り」だった。

つまり、敵は自分とは全く異なる属性の相手である必要があって、だから、団結できたという描かれ方です。まさに、完全にブルジョワとプロレタリアートの対立構造。

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で、話が逸れたついでに更に深ぼると、僕がカブアンドで今後起きたら面白いなあと思っていることは、この映画で描かれていたようなことです。

カブアンドでよく語られる問題点のひとつに「本当に上場できたとして、そのときに多くの保有者が手放して、その時点で株価が暴落してしまうじゃないか」という話があります。

その落ち目を狙う空売り勢なんかも、当然のように現れる。

でも、そこで前澤さんの勇者モードが発動して、株主たちに呼びかけて、民衆の反逆みたいなものが、前澤さん起点で起きる未来も十分にありえるなあと思っています。

これは、トークンではなく実際に株式を活用する形で、トークンエコノミーみたいなものを実現しようとするからこそ、起こり得ることだろうなあと漠然と想像しています。

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さて、話がズレ過ぎたのでもとに戻すと、こういう若者を中心とした鬱屈した感情、なんで自分たちだけが虐げられる必要があるんだと感じているひとは、今の世の中には本当に多い。

それは最近のパーカーの問題なんかもそうですよね。どっちも、自分は被害者だと思っている。

女性たちは、声の大きな男性に対して虐げられていると思っているし、おじさんたちは、若い女性から差別されていると感じる。

だから、お互いにその鬱憤を発露させるし、そうすると余計に単純化されたもの、取るに足らないくだらないものが見世物になり、争いの火種となりがちです。

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この点、夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますが、その犬も食わないケンカの発端は、本当に些細なことだったりするわけですよね。

相手の何気ない、くだらない一言から、夫婦喧嘩が始まったりもする。

でもそれは、日々の鬱屈した感情がすべて蓄積されているから、だからこそ大きく爆発するわけでもあります。

そのきっかけはくだらなくても、その下で鬱屈していたマグマは本物だから、というよりも、マグマがあまりにも本物すぎるから、小さなことでも噴火してしまうという順序のほうが正しい。

そして、意味がわからないものほど、あれよあれよと大きな炎上やムーブメントにもつながっていく。

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つまり、表面的な部分だけみて、あんなものは取るに足らない、という話をしていると本当に足元をすくわれる。実はそんなときほど、一触即発状態であるということだと僕は思います。

特に、株式市場などお金が絡むマーケットは、基本的には世の中の先行指標と言われがち。半年から1年ぐらい先の景気を織り込んでいるという話が、まことしやかに語られるわけですが、仮想通貨も、それは同様です。

ということは、このような若い世代の絶望とジョークの関係性が、これからいろいろなジャンルに広がること、それが遅れてやってくることはもう既定路線みたいな話だと僕は思う。

実際、来年アメリカでトランプが大統領に就任すれば、政策など目に見える形で似たようなことが大小さまざまに行われて、日本はソレに追従せざるを得ない。

その時に、一体何が起きるのか。

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来年以降、期待外れだったり、大きく落胆しないためにも、今の盛大なジョークがどんな絶望から立ちあらわれてきているのかは、しっかりと理解しておく必要があるんだろうなあと思います。

繰り返しますが、そちらの絶望は当事者にとっては本当に手触り感のある確かなものであることは間違いないわけですから。

そして「人の振り見て我が振り直せ」ではないですが、自分が熱狂しているものは他者から観た場合においては、こんなふうに取るに足らないくだらないものだと思われている可能性があることも、はっきりと理解していくことが重要だよなあと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。