先日もご紹介した『国家は葛藤する』という本の中で、なんだかとても興味深いなあと思う話が語られていました。

それが今日のタイトルにも関連する「今後の老人対策をどうするか」という問題。

お二人が、ちょうど団塊の世代と近いご年齢だから、当事者視点から語られてあって、これがとてもおもしろい話だなあと。

今日はこのお話をご紹介しつつ、メタバースやAR・VRみたいなものほど、実は高齢者に用いたほうがいいのではないか、というお話を書いてみたいなと思います。

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さて、本書の中で池田清彦さんは「僕はもう77歳だけど、あと15年ぐらいたつと、僕らぐらいのやつはみんな死ぬんだよ。」と語りながら「高齢者問題はそこのところだけをいかにして乗り切るかっていうことだけを考えればいい」と語ります。

でも、真面目な人ほど、恒久的なインフラみたいなものを立ち上げようとしてしまうのだと。

池田さんも内田さんも、あんまりそういうことはしないほうがいいと語ります。

なぜなら、そうすると、それで身動きが取れなくなっちゃうから。

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では、具体的にはどうすれば良いとお二人は考えているのか。

本書から少しだけ引用してみたいと思います。

内田    今の極端な逆ピラミッド状態って、別にずっと続くわけじゃない。あと15年もすれば、もう少し人口ピラミッドはまともな形になる。

池田     その15年のために法律をつくったり、あるいは何かいろんな建物を建てたりとかインフラを繋備したりすると、役に立たなくなっちゃうからそれはやらないほうがいい。
(中略)
内田    老人たちにお金(ベーシックインカム)を配って、これで暮らしてください。無理して働かなくていいからって。

池田    それが一番いいと思います。年寄りを働かせると大変だと思う。それに働くと結構、体力を使うから長生きするんだよ。働かないでお金をもらってうちでごろごろしていれば、それでフレイル(健康と要介護状態の中間)になって歩けなくなって死んでしまうから、意欲のある人は働いたほうがいいかも。


こうやって改めて読み返してみると、かなり尖っている際どい話をしているなあとも思うけれど、同世代の話をしているから許されるのだろうなあと思いながら、僕は読みました。

そして、実際にこれはかなり大事な視点でもあるかと思います。

なぜなら、団塊の世代は自分たちのためにつくってもらったものを最大限享受しつつ、この世界からいなくなるわけだけれど、それで残された施設やインフラのその後の後始末を任されるのは、現役世代の僕らの世代の役割でもあるわけだから。

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この点、僕が地方に旅行や取材へ行くたびに毎回驚かされるのが、なんだかどデカいピカピカとした建物が突然見えてきたなあと思ったら、それが老人ホームなど、老人用の施設であるということなんです。

そんな箱物(ハード)が、今の地方には本当にたくさんつくられている。

これはなかなかに衝撃的な光景だなあと毎回見掛けるたびに思います。大体、新しくできたホテルか何かに見間違えてしまう。

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そして、もちろん、それは東京も例外じゃないわけです。

たとえば最近わかりやすいところだと、港区の西麻布にも今年、三井不動産のシニアサービスレジデンスが完成しました。

これは厳密に言えば、老人ホームとは異なりますが、そんな高級タワーマンションのような建物が、港区のド真ん中にデカデカと建っているわけです。

日経新聞の記事によると、130平方メートルの部屋に2人で入居する場合の一時金は約5億4000万円だそうです。そして、その後の月額の支払いは54万円弱となるけれど、開業前に約4000件の問い合わせがあったそうです。

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でも、冷静に考えて、これらの老人用の施設というのは15年後ぐらいに団塊の世代がほとんどいなくなれば、無用の長物と化すことがほぼ確実に決まっている未来でもあるわけですよね。

もちろん、三井不動産のような大手デベロッパーであれば、そのあたりはしっかりと考えているとは思うし、そのような富裕層のシニア世代というのは、変わらずに一定数は存在し続けるはずだから、上手く活用されていくことは間違いない。

でも、郊外のマンションや戸建ての問題なんかと一緒で、郊外の老人ホームはドンドンと価値が目減りしていく。

そうなると、地方の老人ホームのような施設は、ことごとく回らなくなるのは、もう目に見えている。

また、今の郊外の団地の利活用なんかとも違って、そのあとに若い人がリノベーションをして住もうということにもならないかと思います。

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つまり、バブルでたくさんできたリゾート施設みたいなものと同様に、無価値化していくほかない気がしていて、そうするとまた地方の問題が山積みになる。

入居者もままならない地方の老人ホーム施設は。税金で運営しようという話にもなって、若い世代の負担も増えてしまうわけです。

だから、そんな箱物やハードはあまりつくらずに、お金を配れ、仕事させずにフレイル状態にして、15年後にはみんな居なくなっているんだ、という池田さんと内田さんの意見はわからなくもないし、実際の最適解はきっとそのとおりなんだろうなあとも思う。

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ただ、その時にもっと大事なのは、ソフトだと思うんですよね。ただお金を配っても、そのお金で何をしてもらうのかもまた、むずかしい問題。

で、僕はこのタイミングでこその「思い出×メタバース」の活用だと思う。

しかも、従来考えられていた若年層向けではなく、高齢者向けの活用という逆転の発想です。

例えば、Apple Vision Proのような最新デバイスは、クリエイターや若者向けではなく、むしろシニア世代にこそ価値があるのではないでしょうか。

頭に被って目線と指のクリックで、再生ボタンを押せばいいだけですからね、難しい操作なんて何一ついらない。

さらに、団塊の世代は「マス文化」としての「思い出」を共有している最後の世代だと思います。

しかも若かりし頃の「昭和のバブル」が、人生で一番輝いていた良い思い出として残っている世代でもある。

つまり、そこに個別性がない。共有している思い出が大体同じという特殊な世代。だとすれば、バーチャル上でつくるべき世界観も、ひとつふたつの世界観でOKなはずです。

その証拠にシニア世代が、今もテレビを見続けられるのはその「昭和の思い出」を共有しているから。

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だとしたら、Apple Vision Proのような端末で、昭和の思い出の中に浸ってもらうのが、とても理にかなっているなあと思うんですよね。

つくってしまった不動産などはどうしようもないけれど、そのメタバース開発のために用いられてきた技術は、後々にも大いに活用できる。

逆に言えば、そのような昭和をつくり、人生の一番輝かしい時代を3Dで観られるような状態を作り出すためにこそ、多くの税金や予算を注ぎ込んで欲しいなあと僕なんかは願ってしまいます。

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メタバース開発といえば、今は若い子どもたちをメタバース漬けにして、中毒性のあるゲームを無尽蔵に与え続けて、まるで薬物中毒者を多数輩出しようかというほどの勢いです。

そして、その犠牲というのは、一定数は技術の発展には致し方のないものだともされている。

そうやって若い世代が廃人となって、その犠牲の上に新しい技術は成り立っているのだといわんばかりに。

でもそれは、どう考えてもおかしい。

これからの未来ある子どもたちをメタバース空間に閉じ込めて、これからの未来がない老人たちのためにリアルエステートつくってるのって、どう考えてもおかしい。

だってリアルの空間にこれからも残り続けるのは、子どもたちのほうなんだから。

むしろ、懐かしい昭和の風景を3Dで再現し、高齢者が安らかに過ごせる環境を作ることこそ、メタバース技術の正しい活用法ではないでしょうか。

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きっと、メタバース自体も、あの世も対して変わらない、どちらも極楽浄土。

この中で自分は生き続けると思えることもある種の希望になりそうだし、その中に自分のアバターが存在すれば、自分たちの子供もここを墓参りのように訪れて、自分の忘れないでいてくれると思ったら、安らかな気持ちになれると思うんですよね。

同じ中毒性のある薬物でも緩和ケアに用いられるモルヒネの正しい活用法みたいな形において活用されるべきです。そのほうが結果的に、みんなにとって幸せな未来が訪れるのではないか。

内田樹さんと池田清彦さんの対談を読みながら、なんだか僕はそんなことを考えました。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。