こんばんは。馬場みなみです。

最近、自分にとって大きな気づきがあったので書き残そうと思います。

きっかけはもんざえもんさんの記事でした!

https://takashimaeda.jp/nasu-note/recommend-akamatsumonzaemon/

記事の最後に、

「1人で生きていける武器より、みんなと生きていける武器をもっているのは強いよ。」

という言葉がありました。

はっとしました。
私はひとりで生きていく武器が欲しいと思っていたけれど、本当に必要としているのはみんなと生きていく武器じゃないかと思ったのです。

私は今、錦江町という町をフィールドに、幸せに生きるとはどういうことかを探求しながら暮らしています。
私にとっての幸せな生き方とは、生きている実感があるか、生かされていると感じられるかということです。

私にとって生きることは、命をいただくこと。
そう強く思っていたので、畑を借りて野菜を育てたり、わなの免許を取って猟友会に入りました。
お金ばかりに依存せず、自然と共に生きる知恵を身に付けて、自然と共に生きる有難さを感じていたい。
食べ物を買うのなら、知り合いの農家さんが作ったものがいい。
そして、くいっぱぐれない技術や知恵を身に付けて、経済に振り回されたくないとも思っていました。
そうやって生きていることに責任を持っていれば、自分が生きている価値が実感できる。そしてなにがあっても自立して生きていけるのではと、そう思っていました。

でも、大学を卒業して初めて就いた仕事と新しい環境で暮らすことににいっぱいいっぱいで、畑の野菜はいつの間にか雑草と見分けがつかないくらいになってしまい、猟は誘われたら行くくらいになっていました。

生きている実感を得ることが幸せだと本当に思っていたなら、時間をつくってでもやっていたはず。それなのにできていないということは、もっと優先度の高い幸せのかたちを私は持っているのかなと気づきました。

命を引き換えにして自分が生きていることに責任を持つということは、私にとって大切な価値観だけど大げさだったのかもしれません。

自然の中で自給自足する生き方は、何かの危機が訪れても自立出来てすごくかっこいいなと思います。この生き方には憧れがあるし、実際そうやって生きている人たちもいる。
でも今思っているのは、ひとりで生きていくってかっこいいけど自分には合わないなあと。


一緒の立場にいたい。みんなと手をつないでいたい。


速く行きたいならひとりで行け。
遠くに行きたいならみんなで行け。

私は、みんなで、遠くに行きたいです。


改めて考えてみると、今学んでいるのは、ひたすら人と向き合うこと、一緒に同じ方向を向いて前に進んでいくための方法でした。

今までの私は、できるだけ人に頼らず、何かあったとき人を支えられるように強くなっておきたいと思っていました。二本足で立って、誰かや何かを支えたいと。
でもそれは、こっちの道のほうが正解だって言ってる裏返しのようで、すごく上から目線だったのではないかと思います。

生き延びることを考えすぎていて、生きることをちゃんと考えていなかったのかもしれません。

今の私は、しんどいことやつらいことも共有しながら、一緒に生きていく方がずっと好きなのだと感じます。ふらつきながらも肩を組んで大きな理想に向かっていきたいと強く思っています。


命をリアルに感じられるような生きる実感を得なくても、仕事を始めて、色んな人と会って、私の中で「生きるとは何か」という問いが変わってきていると感じました。


最後まで読んでいただきありがとうございました、、!

wasei salonで初めてのブログを書いてみました。
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