以前、『100分de名著』の西郷隆盛『南洲翁遺訓』の回で、

「速度と合理性からこぼれ落ちたものの中に、人間にとって本当に大事なものがあった。」

という話が語られていました。

そんなくだりの中で伊集院光さんがとてもわかりやすい例えとして、

「東京ー京都間を移動する場合、リニアモーターカーで1秒でも早く着くようにする、もしくは寝台列車の寝心地をより良くしていく、少なくとも改善にはその二つ軸があったはず。でも現代はスピードの方ばかりを求めてきた。」

というお話をしていました。

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思うに、働き方やライフスタイルが大きく変わろうとしている今、「速度と合理性からこぼれ落ちたものが何か?」それらをもう一度確認しながら、また拾っていく作業はできるのではないでしょうか。

上記の「東京ー京都間の移動」の話であれば、スピードを追い求めるよりも、時間は掛かってもいいから、新幹線のグリーン車よりもさらに快適なコワーキングスペースを実装した空間があったら、嬉しいひとは多いはず(自分もそのひとり)。

1秒でも早く現地に到着することよりも、現代において貴重になりつつある「ひとりになれる時間(半圏外)」をしっかりと確保しつつ、仕事をしたいときはちゃんと仕事もできる空間。

その上で、移り変わる景色をゆっくりと眺められることができれば、現代においてはそちらの方が希少で価値があると言えるかもしれない。

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上記はとてもわかりやすい例ですが、こういった近代合理主義のもとにこぼれ落ちてしまったものって、まだまだ沢山あるはずです。

そして、今からでも拾えるものは多いのかなと。

どうしても僕らは、こういった「こぼれ落ちてしまったもの」の話をするときに、明治以降の近代化を目指した日本を批判したり、否定したりしてしまいがち。

その結果、極端な思想に振り切って「里山暮らしに戻ろう!」というような安直な発想をしてしまう…。

でもそうではなく、文化の発展はしっかりと受け入れ、享受したうえで、こぼれ落ちたものにまた光を当てていくことはできるはずなんです。

もちろん、ここ数十年で急速に広がったグローバル化による恩恵も決して否定はしない。

それらの文化受け入れることで、新たに獲得できるようになったライフスタイルがあるはずだから、そのライフスタイルの変化によって拾えるようになった「人間にとって本来大切だったはずのもの」を再度拾っていく作業をする。

僕は、そこに次の未来が拓けてくるような気がしているのです。

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もちろん、これからも速度や合理性を求める人間の欲求(欲望)は永遠に消えることはないでしょう。

一方で、普遍的な「道」や「天」、道理や文明といった概念も、遥か昔からそこに遍く存在しているのは確かです。

つまり「最先端(近代化)と普遍を、いかに融合していくのか?」がカギとなる。

この作業に終わりは来ません。つまり、この作業こそが現代を生きる僕らの役割でもあるような気がするのです。


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自己の中に、これらの二面性を持ち合わせることを恐れない。

「本当に人間にとって心地よいバランスとは何か?」

それを常に意識し、自分の行動を通して実験し、また新たな文化へと継承していく。

このWasei Salonの中でも大切にしていきたい考え方のひとつです。

いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。