現代における共同体(コミュニティ)復興のムーブメントって、やはり行き過ぎた資本主義や急激なグローバル化による格差が原因だと思います。

しかし、そこに原因を見出すと、「じゃあ今度はこっちだ!」とすぐに社会主義や農本主義的な発想に向かってしまいがち。

そうすると、結局僕らは、

「依存して生きるのか、独立して生きるのか、おまえはどっちを選ぶのだ!?」と迫られてしまうわけです。

そうやって、共存共栄と弱肉強食の二者択一を迫られてみても「いや、どっちも一長一短なんだけどなあ…」と困惑してしまうひとは多いのではないでしょうか。

もちろん僕も、その一人です。

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僕が思うのは「そのどちらもが共存している」という道だってあるのではなかろうかと。

具体的には依存と独立の行ったり来たりを繰り返す。

そうやって、両方の良い点を持ち寄って「第三の新しい共同体」のあり方を、そろそろ模索してもいい時期に来ているのではないかと僕は思うのです。

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たとえば性善説的な施策ひとつとっても、これまでの資本主義的な社会やオープンのSNSなど、不特定多数を相手にするような空間だったら、「何をバカな…」と一笑されて実行できなかったことが、

数百人程度の顔の見える小さな共同体であれば、性善説から生まれるアイディアであっても、しっかりと機能し、実現することができてしまう。

それは、このWasei Salonを3年間近く実際に運営してきても、とても強く実感するところです。

お互いの信頼関係が先に成り立っているからこそ、決して奪いあったり潰しあったりしないのです。

逆に、僕ら運営側の取り越し苦労だったなと思う予防策や、実際には全く不要だったルールも山ほどあります。

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この日本という国は、過去100年余りのうちに急速に近代化してきたことで、その過程で取りこぼしてきたものが山ほどある。

それらをもう一度ちゃんと拾い直し、自分たちの暮らしの中に取り入れてみる。

軽くあしらわれて見捨てられてきたものであっても、もう一度真剣に取り組んでみて、小さな共同体の中で実験してみることで、そこにいるひとたちの「人間力」は着実に復活していきます。

具体的には、お互いが支え合っていると思える空間に所属し、手触りのある関係性を手に入れて、自己の贈与から始まるコミュニケーションを少しずつ実践していく中で、自己の中に復活してくる感覚。

このような体験の中で取り戻せる人間力というのは、弱肉強食の世界での勝ち上がることに匹敵する力だなと僕は思います。

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そして、もちろんこれだけが全てではない。

そんなコミュニティに属しつつも、少し外に目を向ければ、これまで通り資本主義に支えられた大きな社会が回っている。

これがものすごく重要なことだなと、僕は思うのです。

スマホを持って家を出れば、コンビニがあるし、ユニクロもあるし、イオンもある。だからこそ実現できること。

そもそも昔の生きにくさというのは、それが村社会だったからであり「共存共栄」を重視するあまり、ちゃんとガス抜きが出来ていなかったことが原因です。

でも、今は「インターネット」と「現実」や、「会社」と「コミュニティ」など、ふたつ以上のレイヤーを同時に重ねることができるのだから、しっかりガス抜きをしつつ、それらを同時に実現することは可能です。

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言うなれば「都会的か、田舎的か」という二項対立ではなく、「都会的でもあり、田舎的でもある」という二項同体の状態を実現できるわけですよね。

行ったり来たりしていい自由、2つのレイヤーを同時に重ねてもいい自由を獲得できる時代にもう来ている。

それは、これまでの人類の歴史の中でまだ誰も体験してこなかったことです。

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田舎的なベタベタとしたコミュニティに嫌気がさすのでもなく、

都会的なサバサバとした関係性の中で孤独感を感じるわけでもなく、

その同体を目指していきたい。

そうすることではじめて、僕らの暮らしは本当の意味で今よりもより豊かになるのではないかと思うのです。

そんなことを考える今日このごろ。

このWasei Salonでも、そんな二項同体の世界を実現できる空間にしていきたいと思っています。

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6月に開催されるWasei Salonの体験会はこちら。