先日、こんなツイートをしました。



この「ジャンケンの世界」という言葉がものすごく印象に残っています。

今日はもう少しこの話を掘り下げてみようと思います。

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僕らは往々にして「どっちが正しのか、ハッキリしてくれ!」といった態度で何事にも臨もうとしてしまいます。

「絶対的な真理」のようなものが、この世には存在するはずだと信じて疑わない。

だから逆説的に、どんな考えに対しても必ず批判が生まれてくるのだと思います。

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例えば、上述した孔子の論語に対しては、老子が「大道廃れて仁義あり」と批判しています。

その意味するところは、「仁義を説く必要が生まれたのは、世の中の秩序が乱れ、道理が失われたことからだ」と。

言われてみれば確かにそうだなと感じてしまいます。

だから、その大道を重んじる「老荘思想」のほうが正しいように思えてくる。

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特に現代の日本社会においては、仁義から生まれる「礼」を形式的に重んじる文化になってしまったがゆえに、間違った忖度が横行し、それが原因で生じている問題が多々あります。

しかし一方で、老荘思想の「無為自然」と言われるような思想を貫いても、現代において政治や経済が中心になって世界が動いてしまっている以上、理想は描けても、それは絵に描いた餅になってしまう。

そして、たとえ自分たちがそのような境地で生活を送ることができても、必ず違う価値観を持った異人や異国が時空を超えてやって来る。

そう考えると、やはり孔子の論語のような考え方で国を治めなければならないようにも感じてきます。

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このように、「静止状態の完璧さ」を追い求めても結局仕方がない。

世界は常に変化し、動き続けている。

ジャンケンの仕組みやルールを把握するように、常に変化し続ける世界の中で一瞬一瞬、自分にとって「何が正しいあり方なのか?」を問い続ける必要がある。

言い換えると、絶対に負けないグーや、チョキや、パーを知ろう(見つけよう)とするのではなく、

じゃんけんという仕組みやルールを把握し、流動的に変化し続ける世界に対して、常に対応し続ける必要がある。

「これさえ知ればもう完璧!」と思えるような世界の真理には決して出会えないというある種の真理は、とても残酷のようにも思えるけれど、それこそが唯一の解のようにも思える。

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何も変わっていないように見える自然でさえも、日々刻々と変化し、常に循環し続けている。

全く同じ状態なんて絶対に訪れません。

だとすれば、人間社会がどうして変化せずにいられるだろうか。

そんなことを考える今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日ののお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。


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