「文明が発達すればするほど、私たちは自分に備わっている感覚センサーを退化させなければならない、さもなければ気が狂ってしまうから。」

先日、Wasei Salon内のオンラインイベントで話題になった話で、とても強く印象に残っている話です。

今日はこの話題に関して、自分の考えを少しだけこのブログにも書き残しておこうかと思います。

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この点、僕ら人間は、常に情報を拾いながら生きていると感じています。

でも、実際のところは情報を「遮断」しながら生きているのでしょう。

世界に広がっているすべての情報を、自身の五感を通じて受け入れようとしたら、とてもじゃないけれど脳や心が処理し切れない。

だからこそ、自分が生きるうえで不要な情報は、ドンドン積極的に遮断していって、あえて拾わずに生きているはずです。

その証拠に、後天的に盲目になったり、耳が聞こえなくなったりした方は、その失った感覚機関を補うかのように、他の感覚機関のセンサーを健常者以上に働かせて、健常者からすると、超能力かと思ってしまうような方法で世界を認識してしまう。

しかしそれは、決して超能力なんかではなく、そもそも最初から人間に備わっていた感覚センサーを再度、解放させたというだけなのでしょう。

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そう考えてみると、都会ほど情報(主に広告)が多い空間はありません。

その圧倒的な情報量に対して、常に感覚センサーを作動させていたら、気が狂ってしまいます。

本当は拾えるけれど、あえて拾おうとせずに、パタパタと感覚センサーを閉じていくのは、人間という生物の生存戦略上、きっと当然のことなのでしょう。

文明が発達すればするほど、意図的に自らを退化をさせているわけですね。

でも、やっぱりそうやって思考停止させて、感覚センサーを閉じていく行為は、自ら四肢欠損させているようなもの。

見方によっては、自傷行為の一種とも言えそうです。自分で自分の首を絞めるような行為でもあるわけですから、そんな人間的な退化を防ぐために、田舎に行きたくなる。

そう考えると、若いひとほど、直感的に「なんか嫌だな…」と感じて、いま地方移住に向かう気持ちはとてもよく理解できます。

近年話題の「繊細さん」と呼ばれるような方々であれば、尚のことでしょう。

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ここまで読んだ方の中には「なんだ、スピリチュアルな話かよ…」と思っている方もいるかもしれません。

でも、味覚を例にとれば、とてもわかりやすいはずです。

たとえば、都会メシ(コンビニ飯やファストフードなど)ばかり食べていると、味覚は着実に衰えていく感覚を得られるはずです。

本来持ち合わせていた繊細な感覚を意図的に閉じて、濃い味が口の中に飛び込んできても、それをダイレクトに感じてしまわないように、感覚機関が勝手に調整してくれる。

でもそうすると自意識は「刺激が足りず、ストレス発散できないから」という理由で、さらにより濃い味、刺激の強い味を求めるようになってしまう。

これが負のスパイラルを招き、最終的には健康を害してしまいます。

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この味覚に近いことが、各五感のセンサーの中で起きているだろうと想定しても、なんら不思議なことではありません。

もちろん、五感を超えた第六感と呼ばれるような、現代科学では立証不可能な感覚においても、同様のことが起きていると考えることは可能でしょう。

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だからこそ、自己の感覚器官を正常に作動させるために、人間として退化しないために、「地方に戻りたい」と考える感度の高い若者が増えていることは、とてもよく理解できます。

本当の意味で「健やかに生きる」ために。

そう考えると、現代における「都落ち」とは、日々都会で暮らし、自ら人間的に退化する道を選んで没落しようとしている私たちのことのほうを指すのかもしれません。

そんなことを考える今日このごろ。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。

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