NFTやトークンが、株式の代わりにならないってことが明確わかったのが、この1〜2年の話だと思っています。

とはいえ、なぜかまだ、そのような株式的な役割を担えると言ってトークンを広めようとするひとたちがいることに、結構純粋に疑問に思う。

もし、それが本当にそんな可能性があるなら、株式のようにファンダが価格に反映されなければいけない。

でもそのファンダの情報がまったく効果がないのが、NFTやトークンの不思議なところだったわけですよね。

でも、それも当然で、別に株式のように会社やプロジェクトの「所有権」に直接的に紐づいているわけではないからですよね。

あくまでプロジェクトやコミュニティのデジタルグッズの範疇を超えないし、これはしばらく今後も変わらない。

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そう考えると、そもそもプロジェクト規模の経済的な拡大や縮小に、価格が連動するようなモデルじゃないんですよね。

そこにもっともっと早く気づかないと、多分いつまでたってもこの流れは変わらないのかなあと思います。そして、もしそれを紐づけるなら、株式のほうがいいし、株式で良いじゃんとなる。

わざわざ、NFTやトークンで行う必要もないという話になるわけですよね。

株式や仮想通貨とはまた全く異なるオルタナティブな役割をトークンに担わせるためにはどうしたら良いのか、もっとそれを考えたほうが良いはずです。

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じゃあ一体、NFTやトークンの価格が何に影響されているのかと言えば、それはコミュニティの盛り上がり。

具体的には、コミュニティに集う人々の賑い、ポジティブな感情、それに尽きる。それがはっきりしたのがここ1〜2年の試行錯誤の結果だと思います。

コミュニティーの人数が増えて、盛り上がり、ポジティブな感情が広がれば価格は自然と上がっていく。

逆に言うと、コミュニティが過疎化して、盛り下がり、ネガティブな感情が広まっていけばみるみるうちに価格は落ちていく。ここにはハッキリとした相関関係がある。

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で、ここで疑問が生まれます。だとすれば、トークンの最適解は本当にガチホなのか、と。

もちろん、金額をあげていく目的だけであれば、それで間違いはないと思います。

ただそうすると、上がりきった頂点でみんな売り抜けたいと願うから、価格の上昇局面は良いけれど、逆回転が始まったときには、今度は投げ売りが増えて、負のスパイラルが生まれる。

すぐに何十分の一の価格になる。そして、実際にそうなりましたよね。

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確かに、無から有を見出して、それはばら撒けるインセンティブであって、マーケティングの手法としては確かに錬金術のように感じるかも知れない。

でもその恩恵を受けられるのは、プロジェクトの運営側だけであって、そのほとんどは額面通りには換金できない偽りのもの。

実際には、市場では換金できない幻想としての「数字」を見出して、その金額のマジックによって、それらをバラマキ、人々を引き寄せているにすぎない。

まさに、金メッキみたいなもので、その金メッキが剥がれた途端に逆回転し始めるわけです。

これは本当にわかりやすく「情報商材」の上位互換でしかない。このあたりは、本当にもったいない。

それは、取り付け騒ぎが起きた昔の銀行なんかとも非常によく似ている。預金口座のゼロを増やすだけで、その数字に合わせた現金価値があるものが、同時に担保されているわけではない。

ものすごく昔に流行った古典的なことを、今のデジタル上でやっているだけとも言えそうです。ちなみにこのあたりは書籍『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』に詳しいので、気になる方はぜひ。

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このような状況を踏まえると、NFTやトークンの価値を、企業規模の拡大や株式と同等の値上がり期待に結びつけるのは根本的には間違っていることがわかるかと思います。

では、トークンの本当の可能性はどこにあるのか。

僕は、その答えが「コミュニティ内のコミュニケーションに、経済的付加価値を与えること」だと考えています。ここが今日の一番のポイントです。

今はコミュニティ内ではテキストのやりとり、言葉のやりとりだけ。そうじゃなくて、もっと物物交換やサービスや経済活動において用いられる対価になったほうがいいんだろうなあと。

ありがとうのプラスアルファ、自らの返礼の気持ちを込められるものとして通貨のようにしてトークンが用いられること。

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この点、NFTがもたらした驚くほどの革新性というのは、同じトークンではあるんだけれども、そこにノンファンジブルの「アート的価値」を与えられたこと。

そうすることで、文化や思想などを表現できるようになり、その結果として、そこに新たなコミュニティが発生したということだと思います。

ただし一方で、そのNFT自体は分割がしにくく、交換や取引がしにくいというデメリットがあった。

せっかくコミュニティが発生しても、そこで生まれた経済価値は循環されずに、それぞれに死蔵されるデメリットがあったのです。

NFTで実現できなかった「交換というコミュニケーション機能」が、ノンファンジブルではない、ただのトークンにおいてもたらされることが重要なのだと思います。

その循環が起きている基盤があるからこそ「トークンに価値がある」と思われるわけですから。

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ここで思い出したいのは、そもそも僕たちが日常的に使っている「日本円」の価値は何によって裏付けられているかということです。

もちろんここには様々な要因がありますが、外国人投資家の話なんかを聞いていると、根本的には日本人の勤勉さや真面目さ、日本社会の修復力(レジリエンス)に支えられていると感じます。

つまり、社会が壊れても修復されるだろうという信頼感と、コミュニティの成員たちによる修復力が、通貨の信用を支える最も重要な要素になっている。

同様に、コミュニティ内で流通するトークンの価値も、そのトークンを使って実際に経済活動や「やりとり」を行っている人々の存在によって支えられるはずで。

つまり、コミュニティ内通貨として機能していることが、その価値の源泉となるわけです。

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もちろん、実質的な価値みたいなものが計算されて、それが割安な状態か、割高な状態かみたいな話というのもあるけれど、それはあくまで後々に生まれた金融工学の世界の話であって、もっと根本には、やっぱりソレが日本人コミュニティ内の交換に使われているという事実にほかならないと思います。

そのひとたちが生み出す経済的付加価値が信頼の担保として、日銀が発行している「日本円」というある種のトークンは現状のように流通しているわけですよね。

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だとすれば、どれだけトークン価格の増減の話題から遠ざけるのか。

どうすれば、コミュニティ内のコミュニケーションや経済活動と紐づいて「交換」や「やり取り」そんな実用面において用いられている実態をつくっていくのか。

その下支えが価格安定においても、とても重要になってくる。

そしてやはりそれは、既存の仕組みである株式やクラウドファンディング、NFTなんかには決してできないことなわけですよね。

ここにこそ、トークンの革新性、トークンにしかできないことがある。現金では起こらない滑らかさが生まれてくる可能性があるわけです。

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で、最後に、もちろん今の法律や規約的にかなりむずかしいことは理解しています。

現実問題、売買や役務の対価として、トークンを使うことができないということも理解しています。

だから、きっと正しいアプローチは、一周回って「ポイント」機能なんだと思います。まさに僕らがWasei Salonの中で用いているようポイントなんかもそう。

コミュニティの形成と、その経済的付加価値を交換する際に用いられるトークンのような「ポイント機能」が大事になってくるのです。

まさに枯れた技術ではありますが、こちらからの迂回のほうが本当の正攻法なのではないか。

新しい技術だから「トークン」に飛びつきたくなるし、そこに希望を見出したくなるのですが、その新しさゆえに様々な法規制が生まれて、人々のゲスな欲望に絡め取られて、失敗続きなのが現状です。

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押してダメなら引いてみろ、ではないですが、きっと交換やコミュニティ内通貨のように流通する「ポイント」が前提にあることが重要であって。

そういう意味で、いま僕が期待しているのは、シラスやゲンロンカフェがこちらからアプローチしようとしていること。それがとても気になっています。

文化や思想を軸に、確かな人文系コミュニティをつくり出していて、そのコミュニティユーザー間による、ただの「ポイント」機能を先に創造しようとしているらしいです。

そこにはweb3やブロックチェーン技術なども一切絡まない。ものすごく古典的な仕組みでもあるし、中央集権的な仕組みでもあることは間違いないのだけれども、でも一周回って、たぶんこっちなのだと思う。

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そして、法整備なんかも進み、トークンのようなものに紐づく日もきっと来るはずで、その時に初めてトークン自体が役に立つようになってくると思っています。

両者ともに、同じ山を登ろうとしていて、辿り着く場所は変わらないとは思いつつ、急がば回れではありませんが、今はこっち側を迂回しないと到達できないんだろうなあと思っています。

何にせよ、遠い未来から振り返ればきっと、2024年には「トークンがなかったの!?」と驚かれ日がやってくるという思いには今も全く変わりはありません。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考となっていれば幸いです。