ウォーレン・バフェットの有名な言葉に以下のような言葉があります。

「人生でやりたい25個のことを書き出して、そのうちの中から本当にやりたいことを5個に絞れ。そして残りの20個のやりたいことには一切手を出すな。」(意訳してあります)

先日、「オーディオブックカフェ」の中でご紹介し、いま大人気の書籍『限りある時間の使い方』の中でも紹介されていた言葉であり、最近また注目を集めている考え方です。

参照: 『限りある時間の使い方』オーディオブックカフェ

僕はこの考え方にふれる度に、本当に残酷な話だよなあと思いつつ、でもそれをすることが一回きりの人生を本当の意味で生きるということだよなあとも思います。

今日は一風変わったその理由について、少し書いてみたいと思います。

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まず、現在の時代認識のすり合わせから。

近年は、瞬間的な高揚感である「ハピネス」よりも、継続的に続く幸福感の「ウェルビーイング」のほうに注目が集まっている時代です。

現代人が「仕事」に夢中になって見落とし蔑ろにしてきた「暮らし」や「生活」のほうに価値がある、そちらに目を向けようというムーブメントが非常に盛り上がってきている。

具体的には「料理」とか「掃除」とか、「結婚」とか「子育て」とか、そういった日々の生活の中にあるクリエイティビティ性を改めて見直しましょう!と強く喧伝するようなコンテンツが各種SNSを通して、本当にいろいろな方々から発信されるようになりました。

SDGsへの取り組みなんかも、そのひとつの大きなムーブメントを後押ししていると思います。

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そして、実際にそのようなことに意識を向けて自らの生活や暮らしを整えてみると、人間はとっても元気になります。

過労によって鬱状態にあったひとも、みるみると人間力を回復していく。

ゆえに、近代社会の中だけでたまたま見落とされていた「暮らし」や「生活」っていうのは、実はものすごく価値のある行為なのです。

でも、でも、ですよ。

そのうえで、改めて自分の胸にしっかりと手を当てて考えて欲しいのですが「それって本当に自分がやりたいことの25個のうちの5つですか?」と。

「それらは本当にやりたいことの25個のうちの、20個のほうの可能性は高くないですか?」と。

このウォーレン・バフェットの言葉の一番の肝というのは「やりたくないことを捨てろ」と言っているわけではない点です。

むしろバフェットは、「本当にやりたいと思っていることを、勇気を持って捨てろ」って言っている。

それが、この言葉の肝の部分なんですよね。

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過激なひとは、自分が選び取った5個以外の事柄はすべて「無価値」だと言うかもしれない。

でもそれは、悩んで悩んで最後に残った5個を死守するためのある種の「方便」であって、捨てた20個の方にも、間違いなく人間にとっては実践するに値する価値があるのです。

言い換えれば、20個の方にも人生を捧げるだけの十二分な価値が存在している。

それは、私が選ばなかった「職業」が無価値ではないことと同義です。

すべての「職業」には貴賤などは存在しない、それは間違いありません。

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同様に、近代社会の中で、たまたま価値の序列が下がっていた料理とか掃除とか、結婚とか子育てとか、それらがどう考えても無価値なわけがない。

だって、人類が何万年、何十万年かけてずっと取り組み続けてきたことなのですから。

むしろ、そのクリエイティブ性というのは、ウォーレン・バフェットが取り組んでいる金融とか投資なんかとは比べ物にならないくらい、本来はクリエイティブな行為のはず。

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それでも、そのうえで考えに考え抜いて、自分にとっては「暮らし」や「生活」に関連する事柄は25個のうちの20個の方に該当すると判断するのであれば、そのタイミングではスパッと諦めたほうがいい。

そして、それを人生をかけて取り組んでいるひとを全力で応援すればいいと思うのです。

ここが今日の一番伝えたいメッセージです。

25個のうち、たった5個しかできないのであれば、残りの20個のほうは他者を通してその魅力を見せてもらうしかない。

だから、積極的に「疑似体験」をさせてもらおうと考えるといいと思うのです。

もちろん、自分が直に体験するよりも、その解像度は一気に落ちるかもしれないけれど、人間の本当に短い短い人生の中、そんな限りある時間の中ではそうするほかない。

逆に言えば、自分の5個に絞ったやりたいことの中で高められるスキルというのは、そんな疑似体験させてくれるようなひとたちを、全力で応援して、支えるために使ったほうがいい。

「結婚」を捨てた人は、実際に結婚をしているひとたちを、「子育て」を捨てた人は、実際に子育てをしているひとたちのことを全力で応援すればいい。

それが、人間がお互いに貢献し合うっていうことの意味だと思います。人類は、そうやってお互いに得意なことで協力し合って、社会を作り出してきたのですから。

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だからこそ、冒頭の話に戻りますが、僕はこの考え方は非常に残酷だなと思うし、それゆえに人生の真理でもあるなと思うのです。

最後にまとめると、まずは人生でこれだけは絶対にやりたいことを25個に絞る。

そして、その中から5個だけに絞る。

本当にやりたくて仕方ないと思う他の20個は、今回の人生ではスッパリと諦める勇気を持つこと。(絶対にやるなとは言わない、大事なのは決意や自覚です)

そして、その捨てた20個は、それを実践している方々を見つけて、自ら積極的に彼ら・彼女らに貢献して、周囲のひとたちのフィルターを通して疑似体験させてもらうことです。

もちろん、自分が選んだ5個のほうを、選ばなかった20個に入れた人も世の中にはたくさんいるわけですから、それを捨てた20個のほうに入っている人に対しては、惜しみなく自らの景色を共有していくと良いでしょう。

むしろ、私の経験というのは、そもそも私のものではない。他者に共有するために経験しているといっても決して過言ではないと思います。だからこそ、適当に取り組んじゃダメなのです。

そうすることで、本当の意味でお互いにとってかけがえのない人間関係を築くことができるはずです。

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一生続く交友関係というのは、それぐらいやっていることや取り組んでいることが全く異なる相手であり、取り組んでいる畑が違う仲間ほど、関係性が長続きしやすいというのも、きっとここに理由があるのでしょうね。

みんなで同時にお米を作ってもしょうがないんです。

お米を作るひともいれば、野菜を作る人もいて、牛や鶏などを育てるひともいる。

その食材をお互いに分け与え合うことで、本当の意味で「豊かな食卓」をみんなで享受することができる。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの参考になったら幸いです。

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