昨日こんなツイートをしてみました。

現代人は、みんな「分析」したくてたまらない。

ここに「ゲーム性」が存在するんだと思います。

先日、イケハヤさんがVoicyの中で「ゲーム」と「ゲーム性」の違いの話をしていて、本当にそうなんだよ!と膝を打ったのですが、

今ってビジネスを作り出す側は、なんとかして「ゲーム」や「エンタメ」をつくろうとしてしまいます。

「これからはメタバースだ!」という号令なんかは非常にわかりやすい話ですよね。

でも、そうじゃなくて、日常の暮らしや仕事、それらを「ゲーム化」しておくほうがきっとビジネスの方向性としては正しいはずなのです。

言い換えると、この現実世界を既に3Dアバターが動いているゲーム空間だと捉えるということですね。

「ゲームに没入はしたくない、あんなのは子供だましだ」と思っているひとたちが世の中にたくさん存在していて、でも「現実世界を分析する」というゲームは全力で取り組んでいたりする。

You Tubeというプラットフォームも、あれをひとつのゲーム空間だと捉えれば、既にたくさんのプレイヤーが参加している「仮想空間」だとも捉えることができるのではないでしょうか。

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ゆえに、この現実世界を仮想現実だと捉えたほうが、ある意味では正しい。

だって、たぶん数十年後には、その違いはほとんど存在しないのだから。

リアルの空間の中において、分析したくなる余白が上手く設計されているものが「ゲーム性」があるという状態なのです。

そして、そのゲーム性を現実世界の中でも実装できるようになってきたことこそが、NFTやブロックチェーンの革命性であり、革新的な部分でもあると思います。

つまり、ゲーム性って「分析するための余白」が上手に設計されていることだ思います。

そして、この分析されるための余白、その「ナッジ」の部分(行動経済学を参照)が、うまく正しい方向性に向かうように設計されていると、世の中は本当の意味で良くなっていくだろうなあと実感しています。

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ただし、ここで一気に手のひらをひっくり返すようなことを書いてしまうけれど、だからこそあえて、「分析しない」というスタンスもすごく重要なことだと思うのです。

ゲーム性をハックしようとしている状態のときが、一番運営者の手のひらで転がされていると言っても過言ではないのですから。

ここはまだ上手く言語化できなくて申し訳ないのですが、まずは誰よりも没入してみること。

そのメッセージを真正面から受け止めてみる。

「このひと(運営)は、なぜ今このように言ったんだろう?」とか「どうしてこの順番で語ったんだろう?」とか、いくらでも分析的な思考や態度で捉えることはできるのだけれども、それをあえてしないことです。

ほんとうに大事なことは、誰よりも先に没入して戻ってくるときの景色を楽しもうとすることにあるのではないでしょうか。

そのときに、ほんとうの意味での「学び」や「気づき」って、一気に自分の中で深まるんだと思います。

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誰よりも深く深く降りていって、そこから戻ってくるときに、いろいろな距離感で分析しているひとたちの様子や顔を見ながら、その本質の理解に努めること。

イメージすると、朝の地下鉄の通勤ラッシュの時間帯に、自分だけが反対方向のエスカレーターに乗っているようなイメージです。

でもそれって、最初に自分が一番深いところにいかないと、その反対方向のエスカレーターには乗れないじゃないですか。

だからこそ「ゲーム性」に気がついたら、あえて全力でゲームをしてみる。絶対に最初からハックはしないことです。

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これもきっと、世阿弥の言う「我見、離見、離見の見」の3つの視点を持ち合わせておくということなのでしょうね。

親鸞の「悪人正機」にも近いのかもしれない。

結果的に、没入したほうが、本当の分析が可能となる。

これは本当にむずかしい話なので、なかなかにわかりにくい話だったかもしれませんが、ただ一度でも体感してもらえると「ああ、なるほど」って理解してもらえるはず。

現実世界で「ゲーム性」をつくりだし、分析してもらうための余白をつくり出しつつも、自分が新しい世界と対峙する際には、絶対に分析的な視点からは入らない。

今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考となったら幸いです。

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