最近、改めて柳宗悦や柳田國男、宮本常一らの本を読み漁っています。

きっと彼らの本を初めて読んだのは、「灯台もと暮らし」を始めたころなので、今からもう5年以上も前の話。

当事は、「暮らし」の文脈の名著として捉えて読んでいました。

しかし今回あらためて読み進んでいくと、これは「暮らし」の文脈だけではなく、「宗教」の話として捉えて、宗教的な思考回路で読まないと正しく読めないのだと直感的に理解しました。

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その理由については、また改めてこのブログで書くとして、この自己の経験を通じて今回強く思ったことがあります。

それは、自分が何となく気になったら、何度も何度も果敢にチャレンジしてみて、その都度必死で考え抜くことが本当に大切なんだなということ。

過去に何度か触れたことがある作品であっても、「そこに何かがある」と感じたら、また全然違った世界の文脈に熱中したあとに戻ってみる。

そうすると、不思議と新しい世界が広がっている。

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具体的には、僕自身、昨年の夏にしばらく奈良県に滞在しながら、仏教や禅について学ぶ時間をつくった経験がなければ、いまこの気づきや発見は得られませんでした。

昨年の段階では、まさか仏教や禅について学びを深めることが、このタイミングで彼らの本の理解を深めてくれる手助けになるとは思ってもみなかった。

なんだかとっても不思議なご縁だなあと思いつつ、最初からすべては繋がっていて、決まっていたようにも思えます。

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そして、これこそが独学の最高におもしろいところだなあと。

全く同じ世界(書籍)でも、自分の状態によって全く異なる世界に見える不思議。

それは一般的に言われているような「自分の中の『認識』が変化した」という話でもあるのだけれど、個人的にはもうちょっと違う感覚だと思っています。

一番似ている感覚は、RPGゲームの中で何度も訪れている町に、一見関係なさそうに思えるいくつかの条件を揃えて戻ってきたときに、自然発生するイベントのようなものに近い。

主人公(プレイヤー)には、一体何と何がその条件なのかはわからないけれど、目の前に現れてくる課題に夢中になって取り組んでいると、自然とそのイベントが発生するようなイメージです。

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さて、きっと彼らの書籍は「暮らし」や「宗教」とはまた違う角度からの見方も存在しているはずで、それが何かはまだわかりません。


次はそのヒントを探すために、民藝や日本人の暮らしが育まれた土地をこれから実際に自分の足で歩いてみようと思います。

知識を深めるだけではなく、その空間にどっぷりと浸かることで、身体的に得られる新たなヒントもあると思うから。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。


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