先日こんなツイートをしてみました。



前者は、もう何度も何度も繰り返しこのブログに書いてきたこと。

参照:若者へ。静かに約束し、静かに守り続けるということ。

今日は、後者の「運要素の排除について」改めてこの場に書いてみたいと思います。

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たとえば「笑顔の多い人生が、幸福な人生である」というよく耳にするお話。

これは科学的にも証明されていて、笑顔になることによって脳が勝手に反応し、その結果としてドーパミン(脳内ホルモン)が放出されて、快感や多幸感を得ることができると言われています。

どんな人間であったとしても、このような科学的な説明と自身の実体験があれば、「笑顔が、幸福を決定付けている要素のひとつである」ということに対しては異論がなくなってくるはずです。

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とはいえ、「笑顔になる」というのは、非常に運要素が強い出来事でもあると感じるのも事実です。その証拠に、自分ひとりでは簡単にはつくれないから、「お笑い芸人」という職業だって存在する。

1日の中で、自分が本当に心から笑える状況が自身の目の前でどれぐらい起こるなんて、私たちには絶対に予想できることではないわけです。

だからこそ、多くの人はここで諦めてしまうんですよね。「確かに笑顔が大事だとしても、それは結局のところ運だよね」と。

でも一部のひとは、更にもう一歩踏み込んで考えてみる。たとえば、笑顔は偶然でも「口角をあげる」という行動は運要素はゼロで、誰にも左右されない。

つまり、私の決意次第で、毎日必ず行える行動であると。

一日1回でも、意識して口角をあげようと自ら能動的に行動してみること。たとえば「ペンを口でくわえてみること」でも、笑顔の作用は生み出すこともできるそうです。

参照:ほぼ日刊イトイ新聞-脳の気持ちになって考えてみてください。 〜「やる気」と「脳」の話を、池谷裕二さんと。〜

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運要素が一切排除された行動によって、自分自身の脳が騙されて、目の前の出来事がおもしろいことなんだと脳が錯覚し、結果として「笑顔の多い人生」にしていくことはできる。

このときに、自己の人生が「笑顔の多い日々」に変わっていった場合に、それは運が良かったと判断するのか、自ら運を引き寄せたと判断するのか。

つまり、行動の因果関係をどこまで広げるのかという話です。

一般的に、多くのひとは、外部から到来する「ガチャ」的な要素と、自分次第で絶対にコントロール可能なことを、一緒くたにしてこの世界を捉えてしまいがち。

そして、「ガチャ」的な要素のほうばかりに目を向けて、他人よりも恵まれていない環境や面白いことが巡ってこない不運、そしていつも不公平なこの社会を呪ってしまう。

そのようなネガティブな意見や解釈は、他者からも賛同を受けやすく、ひろく伝播していきます。でも、それは天に向ってつばを吐くようなもの。「私(たち)は不運だ」という確信だけが、自分自身の中にドンドン降り積もっていくだけです。

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そうではなく、しっかりとそれらを腑分けをして、とにかく運要素をできる限り排除し、いまこの瞬間に自分の意志だけで必ず行動できることのほうにしっかりと目を向けていく。

それが「人事を尽くして、天命を待つ」という言葉の真意だと僕は思います。

もちろん東洋的な価値観だけではなく、西洋でも「ニーバーの祈り」という有名な言葉がありますが、こちらも全く同じことを伝えている言葉だと思います。

「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。」


この祈りの中に書かれている「受け入れる力」と「変える勇気」、「区別する賢さ」というのは、後天的に必ず獲得できる。

どれだけ悲観的でネガティブな人間だって、運要素を排除した行動の選択肢は必ずどんな状況においても残されています。

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そしてそのための指針となるヒントを、先人たちはありとあらゆる手段で無限に残してくれている。書籍に限らず、映画、音楽、絵画、料理などなど、人間の五感すべてでそれらを理解できるように、その秘訣(道)が語り継がれているわけですよね。

あとは、そのメッセージを素直に受け取り、自らの人生の中から徹底的に運の要素を排除していくこと。それが結果的に一番運を味方につける秘訣だと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。