先日、友人の最所あさみさんが紹介していた映画『夜明けのすべて』を観てきました。


パニック障害の男性と、PMSの女性のふたりが主人公のお話です。

映画館で何度も、この映画の予告編だけを観てたときは「自分は絶対に観に行かないタイプの映画だ」って毎回観るたびに強く心に思っていたのだけれども、最所さんのnoteを読んでみて、さらにご本人からも直接強くオススメしてもらったので、実際に観てきました。


結果、観に行ってみて本当に良かったです。

信頼しているひとのおすすめは、やっぱり素直に従ってみるべきだなあと改めて強く実感した次第です。

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さて、これから観る方もいるかと思うので、なるべくネタバレをしないように書きますが、とにかく優しくて、優しくて、それゆえに社会の辛さも自然と浮き彫りになってくるような構造の映画だなあと感じました。

強いメッセージを声高に叫んでいるわけではなく、なんだか静かに突きつけてくるような映画なのです。

言い換えると、映画「怪物」とか「性欲」とか「万引き家族」とか、あのような描き方で何か鋭利な刃物で僕らにその現実の不条理さを突きつけてくるようなタイプの映画ではない。

どちらかと言えば、これを観ている自分自身に、自分自身が静かに問われるような感覚になる不思議な映画なのです。これは実際に観てもらえるときっと共感してもらえるかと思います。

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で、今日の本題はここからなのですが、僕が注目したのは主人公の男女ふたり、ではなく、その周辺、特にこの主人公ふたりが一緒に所属している会社の人々やその会社のあり方について、です。

きっと、「居場所」としての最終的な到達点のひとつってこういうことなんだろうなあと強く感じました。

ゆえに、今日のタイトルにもあるとおり、視点によっては素晴らしい「コミュニティ論」が展開されている映画でもあるなあと思いながら、僕は観ていました。

こんな観方をしている人間もなかなかいないのかもしれませんが、コミュニティについて日々考えている人間としては非常に有益な教材に感じられたなあと。

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たとえば具体的には、主人公の男女それぞれが抱えている持病に対して、職場の人々が過度に寄り添いすぎるわけでもなく、一方でそれを無視をするわけでもなく、本当にちょうどいい距離感で接しています。

そして、その気を使っていることに対して、別に恩着せがましく接してくるわけでもなく、本当に自然とナチュラルに接しているんですよね。

会社の社長も、社員の方々も、全員がまさにフラットな立場から、相手に敬意と親切心を持ちながらお互いに接し合っているんです。

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もちろんただの町工場ですから、何か崇高な「理念」や大きな「目標」としての何かがあるわけでもなく、ただただ、会社の雰囲気や文化や空気がそうさせているというような感じでその描かれ方が本当に絶妙だったなあと。

会社内における年長者同士の「阿吽の呼吸」みたいなものも、これみよがしではない形で描かれていて、ともすれば完全に見落としてしまいそうになるほど。

実際、きっとこの映画を観ている多くのひとたちは、若手俳優のおふたりに集中して、きっと本当に文字通り、そんな周辺の気遣いは空気のように感じているはずで。

でも、それで良いのだと思います。主人公のふたりに対して目一杯、若いひとたちが感情移入できるようにと、適切な形で配置されている意志を持った脇役を演じきっていて、そこに強く感動してしまったと言えばわかりやすいでしょうか。

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映画全体のメッセージとしても、何か持病を持った人たちに接する時のスタンスとして、そのようなあり方を説教がましく伝えているわけじゃない。

でも、それゆえに、僕からすると理想的なコミュニティのあり方がここにあると思いながら見入ってしまいました。

喩えるなら、成功している他社の事例をこっそりとのぞかせて見せてもらっているような、そんな取材しているような気持ちになれる映画だったんですよね。

一応補足しておくと、たぶんそれというのは、僕自身がありがたいことに特にこれと言った持病もなく、良くも悪くも、まったく主人公のふたりに対して当事者意識を持って共感できるような立場ではなかったことも非常に大きいかと思います。

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「じゃあ、このような職場が世の中に増えればいいよね!」という話になってくると思うのですが、世の中というのは残念ながら、そんなふうに一筋縄ではいかないということでもある。

具体的には「とはいえ生活がある、キャリアがある」などなど、です。

一般的な世間の理想とされる働き方において「町工場」という選択肢はあまり選ばれない。

それよりも、いい大学に入って大企業だ、外資系だとなってしまう。特に夢を抱きがちな若いひとたちにとってはそうなりますよね。実際、映画の中では、そのような対比もわかりやすく描かれてありました。

つまり、そのような理想的なコミュニティを生み出しているのが小さな町工場だから、このようなあり方をただ称賛することに対して世間は、モヤッとするんだと思うんです。

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でも、果たして本当にそうなのでしょうか。

この“優しい”町工場というのは、安易に目指してはいけない姿なのでしょうか。

僕はむしろ、若者たちがイキイキと働けるのはそんな町工場のほうだと思うのです。

つまり、これこそが若人たちが求めているものだったりもする。だったら僕らは、まさにこれらを弁証法的に捉えても良いような気がしています。

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具体的には、大企業の方に人間性をもたせようという話でもなくて、町工場に資本主義の論理を適用するわけでもなく、「町工場のような優しい職場+オンラインコミュニティ」みたいな合わせ技があると僕は思います。

それがいま語られている「コミュニティ」の可能性そのものだと思うし、「コミュニティマーケティング」というものの凄さであって、いまそこをひっくり返す可能性を秘めているということなんです。

完全に経済やお金の流れ、その水路を変えてしまう可能性が、オンライン上で形成されるコミュニティにはあるんだ、ということです。

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この点、大企業の方が良い、外資系の方がいいと言っているひとたちの大半は結局、経済的な価値を自らの満足度よりも優先しているわけですよね。

だったら、その「経済性」のほうを、自分たちの手に取り戻せばいい。逆に言えば、それ以外に優先する点はあまりないはずで。

そして、その経済性は取り戻せるはずだよね?というのが、トークンエコノミーという文脈を通じて、このブログを書き始めてから僕がずっと何年もかけて、主張し続けてきていることなんです。

だって、それこそが今の若いひとたちが真に求めていることだから。

実際、この映画の中でも、主人公の男の子の最終的な決断は、それを強く裏付けるものがありました。

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世のマッチョなおじさんたちが、そんな若者たちの希望や決断を「甘い」だの「青臭い」だの、「将来はどうするんだ?」と激しくバカにしてくる。

でもそこで、自分の力ではどうにもならないような持病を持ってしまったらどうするのか。

その授かってしまったものは決して覆らないし、だからといって人生を諦めるのはおかしい。

逆に言うと、そんなふうに説教してくるおじさんたちは、自分たちが持病を持たない側に常に存在していて、それは絶対に覆ることがないと、完全に誤解をしてしまっているのだと思います。

僕からすると、そのほうが戯言でしかない。

頑張れなくなったらそのまま退場し、あとは不満足な余生を送ることを余儀なくされるという社会というのは、どう考えても僕は間違っているかと思います。

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常に結果を求められる会社と、人間関係としての豊穣さをもつ町工場的な職場。それらを天秤にかけて、その二者択一だけがすべてじゃない。

僕は、この映画の中で描かれていたような町工場的な職場とトークンエコノミーのようなものが実装されたオンラインコミュニティのかけ合わせによって、今の若いひとたちが、本当の意味での生きがい的な豊かさも、経済的な豊かさも、どちらも手に入れられる世の中になって欲しいと強く願う。

人間関係的にも金銭的にも「一人孤独に不安にならず、優しさに包まれる」という状況は作り出せると本気で信じています。

それはたぶん、大企業や外資系企業で働くことを超える豊かさを、きっと僕らにもたらしてくれると思っている。そこを、常に目指していきたいなあと。

その時には今日、たまたまサロン内で山田さんとやり取りした内容ではあるけれど、形式やその善悪にとらわれず、大事な友だちを迎える感覚が、本当に何よりも大事ですよね。

https://wasei.salon/profile/1042f414530e?tab=myline&message_id=7234815 

それを見事に描いていた、町工場の風景だったなあと僕は思います。

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映画の予告編だけを観ると「最近の若手俳優を起用した、雨後の筍のように出てくる恋愛ものか…自分には関係ないな」と思ってしまうはずなんだけれども、実際には、恋愛要素はほぼゼロで、コミュニティとしての優しさが溢れている映画なので、ぜひそんなコミュニティの教科書として観に行ってみて欲しい。

とっても素晴らしい映画でした。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。