最近、岩波ブックレットから出ている『HSPブームの功罪を問う』という本のオーディオブックを聴きました。
これがとってもおもしろい内容でした。
多くのひとが、「HSP」というラベリングによって、これまでの自分の「生きづらさ」に名前が与えられたと安堵したのが、ここ数年。
一方で、何でもかんでも「繊細」という言葉によって言い訳されたり、生きづらさを主張されたりする様子に、違和感を感じるひとたちが、「繊細ヤクザ」というような言葉で揶揄するような現象が生まれていて、その対立構造が一気に深まっていたように思います。
今回の書籍は、そのような対立をできるだけフラットに眺めて、決して感情論になることもなく、淡々と分析されていてところに、非常に好感を持ちながら聴くことができました。
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で、この本を聴きながら思い出したのは、先日も一度ご紹介したことのある、養老孟司さんたちの鼎談本『日本の歪み』という本の内容に書かれたあった内容です。
こちらで語られていたのは、HSPではなく、ADHDの話。
ADHDは10年間で、20倍にも増えたそう。じゃあ、本当にその患者数が一気に増えたのかと言えば、実際にはそうじゃないのだと。ここには、医学と政治の関係であるという話です。
以下で本書から少しだけ引用してみたいと思います。すべて哲学者・東浩紀さんの発言です。
医学と政治が深い関係にあるのは確かです。たとえば成人ADHDは、二〇一〇年からの一〇年で二〇倍に増えたと言われます。でもこれって、裏を返せば、一〇年で市場が二〇倍になったということですよね。 イアン・ハッキングという人が『記憶を書きかえる』という面白い本を書いていて、一九八〇年代にアメリカで多重人格が流行したとき、人口の数%が多重人格で、みんな親から虐待を受けているという話になっていたらしいんです。でもそれはさすがにおかしくて、別のところに原因があるんじゃないかと。 精神疾患に関しては、アメリカではDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル) の臨床分類があります。それによって保険の適用が認められたりするので、精神疾患として分類されることがとても大事です。分類され、名付けられ、障害と認められて、はじめて医療の対象になる。そのことで巨額のお金も動く。ある診断が急速に増えるというのは、そういう現実と切り離せない。ハッキングはそこらへんの力学を暗に指摘しています。特に子供たちをターゲットに「あなたの子供はこういう病気なので、特別な処置が必要です」と言われたら、多くの親は心配でお金を払ってしまいます。
この話は、実際にそうなんだろうなあと思わされますよね。
ここで僕は、現代社会における「生きづらさ」、その原因を明確にし、連帯や治療をするために生まれた、HSPやADHDというようなラベリングを用いること、それ自体は決して「悪」だとは思いません。
このような、わかりやすい言語化、自分の生きづらさを言語化してもらって、そのうえで、さらに少しだけこの生きづらさ自体が「ギフテッド」であるというような希望も持たせてくれるラベリングだったら、そこに飛びつきたくなり実際に救われるというひとがいるというのも、当然のことだと思っています。
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そして昔は、そのような感覚を「宗教」が担っていたというだけで、宗教なき時代だからこそ、むしろこのような「障害」としてその「救い」が語られる世の中なのだろうなあと思います。(ニーチェの奴隷道徳のような話)
具体的には「繊細さん」という言葉が生み出された瞬間も、そこに悪意があったわけではなく、生きづらさを抱えているひとたちのパターンや構造をしっかりと分析した結果、そこで生まれたのが「繊細さん」という名前だったはず。
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ただ、そういうときにこそ、医療従事者やそれに類似したような火事場泥棒のような人間たちがあらわれるということも、同時に知っておくべきだと思うんですよね。
ここが今日、一番強く主張したいポイントです。
さらに、こういう「時代病」って歴史を学んいるだけでは、絶対にわからないこと。
その渦中の中で、自分自身が生きていないと見えてこないことって必ずあるはずです。
それは、引用した文章の中に出てきた「多重人格」の話なんかもまさにそうですよね。今の僕ら世代からすると「当時そんなに多重人格が流行ったの…?」って思ってしまう。
でも、僕が小学生の頃には、多重人格のドラマが本当にたくさん放送されていましたし(「銀狼怪奇ファイル」とか)、当時の精神医療の世界ではそれが真剣に語られて人々は当たり前のように信じていたわけです。
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また、コロナという感染症もそうだったかと思います。
ペストやスペイン風邪について、歴史の勉強の中でどれだけ学んでみても、自分たちがコロナの世界に生きてみないと、その本質は決して理解できなかったと感じるように。
だとしたら、同じように現代のHSPやADHDのようなものは、ものすごく良質な学びの体験になっているはずなんですよね。
一体、自分たちのどんな「生きづらさ」、その足元が見られているのかをしっかりと考えないといけない。
人間が人間である以上、何度も何度も似たような構造を、これからも延々と繰り返し続けるのだから。
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この点、話は少しズレるけれども、先日放送されていたNHKスペシャル「ハマスとイスラエル 対立激化どこまで」という放送回の中で、両国共に、いかに子どもたちが被害にあっているかという悲惨な動画を国家が公式で作成し、各国共に国際的な世論を自国に有利に動かそうとそれをSNSで拡散しているとのことでした。
これも、各国のその思惑が悪だとかそういう話ではなく、どうしてもそうなる構造にあるということなんだと思います。
子どもの悲惨さを見せられると、人間である以上避けられないスイッチが直接刺激されるわけだから。
だからこそ、それを自らに有利に利用しようとするひとたち、火事場泥棒のようなひとたちがいつの時代もあらわれるということを、理性でちゃんと理解しておく必要があると言いたいんですよね。
その部分こそが、狙われるんだぞ、と。
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更にやっかいなことは、ここにこれからは、AIも重なってくるわけですからね。
たまたま昨日観た映画『ザ・クリエイター/創造者』もまさしく、最強のAIが「可愛い子どもの女の子」として造形されていました。中身は、最強兵器のAIなのに、です。
でも、その子どもの造形によって、主人公は感情移入をしてしまう様が描かれていましたし、僕ら観客もそれはまったく同じです。
可愛い子どもの女の子というだけで、完全に人間の認知の仕組みがハックされてしまう。
ということは、これからAIやロボットというのも、ドンドン子どもや犬猫のような愛くるしいペットの皮を被って、登場してくることは間違いないはずで。
でも繰り返しますが、その中身は圧倒的な支配者のようなヒトラーのような顔をした見た目でもいいはずの代物なわけです。
言い換えると、顔相には決して現れない世の中が、これからはむしろ当たり前になっていく。
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これからの時代は、僕らのどんな本能が、ダイレクトに刺激されるのかはわからない。
そして、刺激してくる側も、その刺激すること自体を決して悪いことだと思っていない。
そのとき何も考えていない人間ほど、感情やホルモンの感じるがままに騙され操作されてしまう。そして操作したい人間は、そこで大きなうまみを得るわけです。
今大人気のYouTuberさんも、先日、ご自身のVoicyの中で、自分たちのYou Tubeのチャンネル登録者数を増やすために、わざとTikTokに「喧嘩の動画をあげていた」と語っていました。
「人間の本能に、ぶっ刺しにいく」と言いながら、何の臆面もなくそういうことを武勇伝のように語り、実行してしまう人間というのがこの世には本当にたくさんいるんです。
これを読んでいるひとには、そのような社会的な構造にぜひ自覚的であって欲しい。
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もちろん、ここでしっかりとメタ的な視点を持って、今読んでいるこのブログ自体も、まさにそのひとつかもしれないと思った方がいいです。(書き手自身がこんなことを自分自身で明記することもおかしな話ですが)
僕自身も、ある種の世の中のトレンドや空気感、そのエネルギーを逆手に取って、今このブログを書いているわけですから。
僕らは、その構造から決して逃れられない世の中に生きているということにより多くの方に自覚的になって欲しい。
そのうえで、適切な距離感を保つこと、自分自身で考えること。
宗教なき時代だからこそ、そして宗教によって遠い異国で今まさに戦争が起きているからこそ、強く意識しておく必要があることだと思います。
人間はどのような釣り糸を垂らされれると、そこに飛びつかずには居られなくなるのかを、歴史と自らが生きる中で眺めてきた時代病によって日々学んでおきたいところです。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。