今朝、こんなツイートをしてみました。

この「完全に肯定もせず否定もしない」ということが、今ものすごく大事なことだよなあと思います。

「結局、おまえはどっちなんだよ!」という他者からの大きな声に惑わされないこと。

しかも、これをうるさく何度も問い詰めてくるのは、周囲の人々や世間のようで、

実のところは「内なる他者」であり、つまりは自分自身だったりする。

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この点、仏教の教え、とりわけブッダが説いた教えを日々掘っていると、

「ない、ない、ない」と常にずっと否定し続けていることに気がつきます。

最初は、これにものすごく大きな違和感に覚えます。

一見すると、その態度がなんだか無責任な発言のようにも感じるから、です。

でもこのブッダの態度は、一つの事柄に対して完全に肯定もしないし完全に否定もしないという姿勢そのものである。

「ない、ない、ない」と繰り返すことで初めて、本当の意味で「概念」や「枠組み」から自由であれることを示唆しているのだと思います。

つまり、この姿勢こそが中庸に近づける唯一の方法なのだろうなあと。

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ただし、残念ながら、これを続けていくとカタルシスのようなものは一生涯感じられません。

この点、僕らはどうしても何か天啓のようなものを求めてしまいがち。

ハリウッド映画のクライマックスシーンによくあるような「エウレカ!」というシーンが自分の人生の中にいつか訪れてくれるのではないかと期待している。

でも、そんなものはいつまで経っても決してやってこない。

なんなら、ずっと何か奥歯に挟まったようなモヤモヤとした感情を抱き続けることになる。

でも、繰り返しますが、それこそが概念や枠組みから本当の意味で自由になれる唯一の方法なのだと思います。

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この白黒ハッキリさせないでいる「居心地の悪さ」に耐えられるかどうか。

主義主張をひとつに定めてそこに安住し、それ以外は全て認めないとするのではなく、一生涯を通して常に問い続ける姿勢を維持できるかどうか。

覚悟を決めるとは、どちらか一方に振り切るのではなく、このような継続的な態度を指すのだと僕は思います。