最近、思想や哲学の歴史を積極的に学ぶようにしています。

学生時代、授業中にこのような分野の話になると、すぐに眠くなっていた自分が、今は暇を見つければこのジャンルの書籍を貪るように読んでいます。

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学び始めたころは「なぜ、いまこのようなジャンルに興味を持っているのか」その理由が自分でもあまり理解できていませんでした。

しかし、最近少しずつその理由がわかってきた。

結論から言ってしまうと、「本物」と「偽物」を見分けるための目を必死で養っているのだと思います。

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10代〜20代のころの僕は、「商品」というのは値段に比例して「質」がひたすら向上していくのであろうと誤解していました。

きっと多くのひとが似たような勘違いをしている(していた)のではないかと思います。

でも実際は、ある一定の値段を超えてくると、五感では「あれ、なんだかそんなに変わらないぞ…?」と感じるレベルに達してくる。

しかし、そこには圧倒的な差異が存在することも、なんとなく直感的には理解できる。

では、一体そこに存在する違いとは何なのか?

それが、作り手の思想や哲学から生まれる“何か”なのだと思います。

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もちろん、最高級品のような部類になると、圧倒的に品質の良いものが驚く値段で提供されていたりしますが、それさえも「品質」というよりは、希少価値による価格差に過ぎない。

つまり、衣・食・住、すべてのありとありゆる"商品"はそうだと思うのですが、ある一定のクオリティを超えてくると、質は限りなく一定に近づいてきて、それ以上の良し悪しや社会的な評価というのは、作り手の根底にある思想や哲学の領域に入ってきます。

そして、ここは体系的に理解していかないと、その全体像を把握することはなかなか難しい。

歴史的な流れの中に存在する「批判の観点」も含めて理解しないと、表面的な“正しさ”だけが際立って見えてきてしまうのです。

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「これは人生のどこかの段階で、一度しっかりとその源流となっている思想や哲学を学ばなければ、理解し得ないものなのだろうなあ」と感じました。

さもなければ、いつまで経っても本物と偽物の区別がつかず、見せかけのものや流行のものにすぐ騙されてしまう…。

その結果、自分にとって大切な時間もお金も無尽蔵に浪費するハメになってしまうなと。

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この点、僕は全く詳しくないのですが、たとえば西洋美術の中では「なぜこれを描いたのか」を歴史背景を踏まえたうえで説明できる必要があるとよく聞きます。

それはつまり、ひとりで完結することなんてありえないということを、作り手も受け手もちゃんとお互いに理解しているからなのでしょう。

長い歴史の中で先人たちが積み重ねてきたものの上に今の自分の作品が成り立っている。その解釈の仕方がたとえ批判的であったとしても、そうじゃないものはありえない、と。

そして、美術に限らず、人間がつくるありとあらゆる“商品”は必ず似たような構造の中にある。

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「現代において、通説とは大きく異なる古臭い哲学や思想を今ごろ学んでどうなるのか?それよりも最先端の科学やテクノロジーを学んだほうがいいのではないか?」

そんな声も聞こえてきそうですが、人間がつくるものは、目に見える部分が時代ごとに異なっても、それを支えている土台部分に関しては決して変わらない。

自分が何をつくるにしても、何を受け取るにしても、上物部分だけに目を奪われて時代に翻弄され続けるのではなく、基礎となる土台の部分をしっかりと学ぶ必要がある。

そして、いよいよ時代の中に、本格的に人間以外がつくるものが登場してくる中で、この観点を持っておくことでより一層楽しめるようになるのかなと。

人類がいまだ未体験の新たな歴史がこれから始まっていくわけですから。