今朝、こんなツイートをしてみました。



NFTには、従来のSNSとは異なり「金銭的価値」が紐づくから、詐欺行為が自然と生まれてくるのは今のところ必定です。

そして、現代の世の中でこれほどまで全面的に否定できる「絶対悪」なんて、なかなか存在しません。

もちろん、詐欺師自体は非常に厄介な存在ではあるけれども、これがコミュニティという集団を団結させるために、実はめちゃくちゃ功を奏しているような気がしています。

まさに「共通の敵」になるんですよね。

『鬼滅の刃』のように「正義の反対はまた別の正義。相手には相手の立場がある」という説教くさい物語が雨後の筍のように生まれてくる時代に、これほどまで逡巡する必要がなく全員で団結し、倒せる敵はある意味で貴重。

この敵の存在が、実は大きのではないかと思います。

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ちなみに、このような客観的な状況自体は、可もなく不可もなくだと思っています。

ここでは「けしからん」とか、そういう突発的な感情は一旦抜きにして考えてみたい。

ここで、僕がものすごく大事だなあと思うことは、道徳教材や他人のナラティブではなく、自らのナラティブとしてこの状態を体験し、客観的に観察できることに、NFTの本当の価値があるなあと。

これこそが、NFTという完全に新たなフロンティアの面白さでもあり、強みだよっていう話は、今朝更新したVoicyの中でも丁寧にお話したとおりになります。

自らの内に秘める暴力性(煩悩)に自らで気づき、それをメタ的に自覚することができるのは、記号の最終形態であり、これから開拓されていくNFTならではの強みだなと感じています。

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さて、ここで話は少し逸れますが、先日、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』のオーディオブックを久しぶりに聞き返しました。

2018年には漫画版が爆発的なヒットとなり、もう説明不要の名著だと思います。

あの中で、おじさんがコペル君に対してずっと言い続けていることは「自分の体験から考えることが大事だよ」ということです。

それを、何度も何度も繰り返し強く言及している。以下はすべて、おじさんからコペル君に向けられて伝えられた言葉です。

・肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。

 ・繰り返していうけれど、君自身が心から感じたことや、しみじみと心を動かされたことを、くれぐれも大切にしなくてはいけない。

・「どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、それをよく考えてみるのだ。そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、繰りかえすことのない、ただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかってくる。それが、本当の君の思想というものだ。


本当にものすごく重要な教えだと思います。

宮崎駿さんが今、この時代の気運を察知して、このタイミングでこの書籍の主題を映画化しようとしていることは、なんだかとってもよく理解できる。(※タイトルが同じということは、ストーリーは異なれど、きっとそのメッセージや主題は同じはず)

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「人間心理」や「社会構造」にハッとすることができる機会と、その重要性があまりにも今は蔑ろにされすぎてしまっているように感じます。

それよりも、他者が考えた「常識」という名の「雑学」が重視されすぎてしまっている時代。

でも本当に大事なことは、自らがその当事者として、絵空事ではない手触り感のある問いとして立ち現れてきたことを、その「迷い」と「葛藤」のなかで、脱構築的に考えていく機会、のほうです。

NFT及びそこで生まれてくるコミュニティというのは、その生(ナマ)の素材や体験として、本当に優秀だなあと僕は思っています。

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では、ここでいう「脱構築」とは何か。

以前オーディオブックカフェの中でもご紹介したことのある、千葉雅也さんの『現代思想入門』の説明が非常にわかりやすいと思うので、以下で少し引用してみます。

脱構築とはどういうものかは第一章で説明しますが、ここで簡単に言っておくなら、 物事を「二項対立」、つまり「二つの概念の対立」によって捉えて、良し悪しを言おうとするのを いったん留保する ということです。     

とにかく我々は物事を対立で捉えざるをえません。善と悪、安心と不安、健康と不健康、本質的なものと非本質的なもの(どうでもいいもの)……などなど。私たちが何かを決めるときは、何か二項対立を当てはめ、その「良い」方を選ぼうとするものです。

(中略)

脱構築的に物事を見ることで、偏った決断をしなくて済むようになるのではなく、我々は偏った決断をつねにせざるをえないのだけれど、そこにヴァーチャルなオーラのように他者性への未練が伴っているのだということに意識を向けよう、ということになる。それがデリダ的な脱構築の倫理であり、まさにそうした意識を持つ人には優しさがあるということなのだと思います。


「人間にとって、本当の「優しさ」とは何か?」を考える素材と体験として、これほどまで優秀なものはなかなかない。

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そして最後に、これは余談ではありますが、ほとんどすべてのことが「ネット空間」の中だけで起きているのも、本当に素晴らしいなと思っていたりもします。(これは今のところでは、ありますが)

それにより、不思議と半分フィクションな感じもしてくる。一般的な意味合いとは異なりますが、2.5次元的なところがあるなあと。

つまり、フィクションほど他人事過ぎないし、現実ほど自分ごと過ぎないということ。

それぞれの自分の普段の生活、そんな「リアルの空間」に戻ったときに、ふと我にも帰れる。

その距離感が本当にちょうどいい。

「ああ、これが、あの古典に書かれていた、あの感情(構造)のことだったのか!」となれますからね。

「映画」ではなく、ディズニーランドのような「体験型アトラクション」みたいな感じと言えばわかりやすいでしょうか。

自分たちが没入し、直接その当事者として体験することによってその行ったり来たりができる。

つまり、カッと熱する瞬間もあれば、フッと冷める瞬間もある。この行き来によって、人間的な味が染み込んでくる。熱くなりすぎて、最悪なところまで踏み込まなくて済みます。

そんなことを考える今日このごろ。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。