嬉しい時には、「嬉しい」と声に出して喜ぶ。悲しい時には、「悲しい」とハッキリ言う。それが難しければ、布団に顔をうずめたり、部屋の隅っこを見つめたり、体育座りをしてみたり、「悲しい」という気持ちを体・心いっぱいで表してみる。


 飯が美味けりゃ「うまい!」と声を上げる。カンカン晴れの天気に心地良さを感じたなら、「晴れてて気持ち良いな〜!」とあえて口に出してみる。人の目が恥ずかしければ、ベランダからでも良い。部屋の窓からでも良い。なんでも良い。とにかく「口に出す」という明らかな “行為” でもって、自分の気持ちを表してみる。



 WEBカメラを通じたミーティングが多くなった。そればっかりになった。友人と酒を飲むのもカメラ越し。いくら技術が進歩したとはいえ、どんなに高性能なカメラを使ったところで、それは笑った彼のしわくちゃな目尻を映してくれない。カミソリ負けの肌。伏し目がちな彼女の長い睫毛。寄ればなるべく映りはするが。が、あっけらかんとした声色の奥底に秘められた鈍色の悲壮感を、Macbookのマイクはきっと拾ってくれないでしょう。友人の情けなく笑う顔。煙まみれの焼き鳥屋でさえ、はっきりと心情まで掴めたのに。今やフィルターエフェクトのもと、キュートな猫の顔になってたりなんかして。なんだよそれ。



 人と、本来の意味での「顔を合わせる」ということができなくなっちゃった。「心を通わせる」という行為が、とてつもなく難儀なものになっちゃった。あの美しかった、ノンバーバル・非言語領域・言葉を介さないコミュニケーションは、今や遠くどこかへぶっ飛んじゃったみたいです。



 悲観したって仕方がないもので、出口の見えないトンネルでは息がぎゅうぎゅうに詰まっちまう。ならばいっそ、「心を素直に開くこと」を積極的にやってみませんか。


 WEB上であっても、会えて嬉しいなら「会えて嬉しい!」と大きな声で言ってみましょうよ。だって、声に出さなきゃ伝わらないんですもん。テーブルに酒を囲んで、話に花が咲きすぎて満開。いつまでも手がつけられずだんだん干からびていくチャンジャに、「会えて嬉しいなぁ」という感情をひっそり想ったり、できないんですもん。今は。しょうがないんです。できねえもんはできねえんだから。


 だからいっそ、もう、全部言いましょう。できる限りの言語コミュニケーションを、余すことなく全部やっちまいましょう。心を素直に開いてみましょう。「ありがとう!!」と大声で言いましょう。「これからも仲良くしてくれ」って、ちゃんと口に出して言ってみましょう。素直に。『言わぬが花』や『沈黙は金』などといった言い回し、今は一旦、他所に置いてみましょうか。とても美しいのだけど。今は。一旦。



 今日は晴れていて気持ち良い。あったかいのは良いことだ。嬉しいもんだ。


 お客さんとのミーティングにて、『三浦さんと一緒に仕事できて嬉しいっす』と言われた。「僕も嬉しいです。この騒ぎが落ち着いたら、必ず焼き鳥屋で乾杯しましょう。楽しみだ」と言葉を返した。心から嬉しかった。嬉しかった。素直な言葉に、素直な言葉を返す。嘘のないコミュニケーション。図らずも鬱屈としてしまっていた気持ちが、スッと晴れたような気が。


 今日は晴れていて気持ち良い。あったかいのは良いことだ。嬉しいもんだ。最高だよ。最高。素直に心を開いてみよう。思ったことを、思った通りに言ってみよう。ね。それぞれ与えられた場所で、楽しく生きましょう。