https://twitter.com/hirofumi21/status/1259344989609287681
前者の反省は、自分の信じる道を歩みたいと願うものにとっては、絶対に必要不可欠なこと。
それは、多くの方にご理解いただけると思います。
一方、後者の反省は、自分の信じる道を歩みたいと願う者にとっては、いちばんの害悪につながる。
まったく同じ「反省」という言葉であっても、その捉え方次第で、本人にとっては薬にも毒にもなり、天と地ほどの差がそこには生まれるわけです。
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思うにこれは、学校などの組織で一般的に行われている反省会や、反省文という慣習がそう思わせているのでしょう。
人生で初めて、強制的に行なわされる「反省」という儀式が、後者の意味で使われることが大半だから。
反省とは、厄介なもの、はやく終わらせたいものだと、幼心に信じ込ませてしまう。
そして、後者の意味での反省の危うさは、一歩間違えれば、他人や過去の出来事に原因を求めて、それがそのまま執着や呪いにもつながりやすいところなのかなと。
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でも、本当の意味での反省とは、自己と向き合い、自分が取った行動を内省するという重要な行為です。
だからこそ、反省の本来の目的にしっかりと立ち返り、正しく「反省」を繰り返し、独立独歩、自らの信じる道を歩んでいきたいもの。
そのためにはやっぱり、「迷い」が重要であり、そこから生まれた問いをもとに、ゆっくりとひとりで考える時間が必要になってくるのだろうなあと思います。
参照:「迷うからこそ、己の義が見えてくる。」 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/69e422e881ef
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とても抽象的な話になってしまいましたが、いま多くのひとにとって、コロナによる強制リセットがかけられて、「人生の中間決算」と言えるような状況下だからこそ、大切にしたほうがいいことだと僕は思いました。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。