世間一般的には、「よく働き、褒められて、給料もらう」ということが働くの本義だと思われています。

そして、それこそが働く上で一番むずかしいことなんだと、一般的には認識されているような気がします。

でも、褒められて給料もらうなんていうのは、実は本当に簡単なこと。

こんなこと表立って主張したら、きっと怒られるのだろうけれど、僕には本当にそう思います。

なぜなら、そうやって褒められるためには、利害関係がある当事者全員の「目先の利益の最大化」を行えばいいだけですから。

特に、むずかしく考える必要なんて何もないはずなんですよね。

それさえ行うことができれば、一般的な企業においては給与は満足以上にもらえるはずで、ちゃんと昇進することもできるはず。

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ただ、一般的には多くの人たちは「自己の利益」のことしか考えることができない。

でも、これというのは、訓練でどうにでもなると思います。

いわゆる近江商人の「買い手よし、売り手よし、世間よし」みたいな三方良しの視点は必ず身につけられる。

大半のビジネス書が説いてくれていることも、この「相手目線を徹底的に身に着けよう」というその一点が説かれていると思います。

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だから、その褒められるということができないひとは、単純に訓練不足なだけであって、ちゃんと訓練すれば身につけることはできる。

むしろ、ここからが本質的な問題なのだと思います。

じゃあ、それが具体的に何かと言えば、その褒められるための「目先の利益の最大化」というのは、実質的には社会に価値をもたらさない場合が多いのです。

むしろ中長期の目線で見ると、害悪であることも多い。

たとえば、先日、NHKの「クローズアップ現代」の中で、住宅ローンの金利の問題が報道されていました。

現代地方の夢のマイホームを買う際に、資材高騰のせいで35年ローンでさえも地方の若者には買えるひとたちが減ってきた。

だから、そんなひとたちでもマイホームを買えるようにと、返済期間が50年の住宅ローンが生まれていて、30歳未満のひとたちにローンを組ませて80歳で完済するという仕組みが生まれているという報道がなされていたんですよね。

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これなんかは、まさに典型的な話であって「35年ローンを組んでくれるひとが減ってしまって、困ったなあ。」という上司に対して、

「じゃあ、50年ローンにするのはどうですか?    そうすれば会社としては契約者も増えて得られる利益も増えますし、契約者のひとたちも毎月の支払いが軽減された上に、マイホームまで持てて、安心して子育てもできますし、少子化も解消されて、見事にWin-Winです!」みたいなことを提案できてしまうわけですから。

実際に、この方法を採用したら契約数も増えて会社の収益も増えて、三方良しが実現するはずです。

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でも、この方法を続けた先のことをちゃんと考えたら、そんなのただの詐欺と変わらないっていうことも、すぐにわかるはずなんですよね。

つまり、売り手と買い手の現在や目先の利益だけではなく、時間軸をもっともっと引き伸ばす必要も出てくるわけです。

さらには、世間よしの「世間」の解釈の仕方の問題にも繋がるのだと思います。

本来の、世間良しには、もっともっと「広義の他者」が含まれてくるはずなんですよね。

これまで、この世界をつくってきてくれた数限りない死者と、これから生まれてくる子どもたちも含めた、「すべての他者」がそこには含まれるはずです。

つまり、その利害関係者の範囲だって、もっともっと広げて考えないといけない。

ここを加味するとなると、一気に提案がむずかしくなってくる。それは当然のことです。

なぜなら「売り手よし、買い手よし、世間よし」における、売り手と買い手の部分の利益をある程度制限しなくちゃいけなくなるから。

それっていうのは、ときに利益相反行為にもなりえる。

でもそのようなことだって、勇気を持って進言しなければならないし、目の前の人たちに自分達の利益を諦めてもらわないといけない場面もあるわけですよね。

もちろん、本当のプロの中のプロは、それさえも諦めないで、本当の意味で「全世界の利益」に繋がるような、ウルトラCのようなアイディアを作り出してしまう。

でも、そのような変化球のようなアイディアがこの世界から既に減ってきてしまっている時代であることは、もう紛れもない事実でもあって、だからこそ「はたらく」のがむずかしいんですよね。

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繰り返すけれど、ただ上司に褒められて給料もらうなんて、本当に簡単なことなんです。

でもそれというのは、未来の自分たちやまだ見ぬ世代に対してそのデメリット、見たくない部分を押し付けているだけだったりします。

だからこそ、たとえ怒られても、嫌われても、バカにされても、それでも本当に自分の信じる正しいことを、正しく行うこと。それが一番大事なことだと僕は思うし、そこが一番むずかしいところ。

そこでも諦めずに、実行できるかどうかを本当は、ちゃんと胸に手を当てて考えたほうがいい。

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そのうえで、非常に変な話に聞こえてしまうかもしれないのですが、ぜひともここに強く悩んで、引き裂かれて欲しいなあと僕は強く思います。

それこそが「はたらく」の本義だと思うから。

引き裂かれる感覚というのは、ものすごく辛いことではあるのは間違いないのだけれども、そこでグッと思いとどまって、それでも逃げなかったということが自分の中でより大きな自信にもつながっていくと思うのです。

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この点、近年のネオリベ社会においては「自分は、稼ぐことから逃げなかった。一方であいつらは稼ぐことから逃げたから、自己責任なんだ」と語る人は非常に多いけれど、僕はそれは言っている本人が一番逃げただけだと思います。

本当のあるべき姿が多かれ少なかれ見えていたにもかかわらず、目先の利益の追求に目がくらんでしまった時点で「あー、あなたもそちら側に逃げてしまいましたか」と思う。もちろん、それが明確に悪いことだとは思わないけれども。

ぜひ最後まであきらめずに、本当に自らが正しいと思う道を突き進み、切り拓いて行ってほしいなあと思います。

そして、そのときに一人ではなかなかに難しいことなんですよね。

ひとりで挑戦すると、必ず挫けそうになってしまうはずだからです。

なぜ本気で取り組んでいる人間が苦労をして、適当に目先の利益の最大化だけしているヤツらが褒められて良い生活できるんだと魔が差して思うはずなんです。

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でも、そこで挫けそうになっても、めげずに取り組み続けるために、コミュニティの力を最大限活用してほしいなあと思います。

具体的には、同じような中長期の視点や時間軸で、本当に三方良しになるためにはどうすればいいのかを諦めずに考え続けているひとたちが、ちゃんと身近に存在していること。

たとえば僕にとって、イケウチオーガニックさんは、そういう意味でもものすごく励みになる存在です。

また、石見銀山の群言堂さんや、京都の坂ノ途中さんもそうです。

彼らは、目先の利益だけにこだわらずに、かといってユートピア思想に傾倒してしまうこともなく、しっかりと目の前にある現実問題と淡々と向き合って、本当の意味で時空を超えた「三方よし」を実現しようとしているひとたちです。

そのようなビジネスに挑戦しているひとたちに、僕は本当に頭が下がります。

企業単位だけでなく、個人単位でもそのようなひとたちは必ず世の中には存在しているはずで、いまも大小様々な組織の中で、孤軍奮闘しているはずなんですよね。

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Wasei Salonは、そのような視座を持ち合わせているひとたちが、集まるコミュニティにしていきたい。

ひとりでは挫折しそうになっても、似たような志を持っているひとたちが集まれば、きっとそこでグッと思いとどまって、踏ん張ることができると思うからです。

それが本当の意味で、世の中を良くしていくことにもつながっていく。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。