突然ですが、他人の固定観念や思い込み、現代特有の呪いを解くことは、とても大きな快楽を伴います。

そして、その思い込みが強いものであればあるほど、それを解いたときに相手からも強く感謝される。

「教育」なんかは、その最たるものと言えるでしょう。

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そして、現代はそのような言説が、SNSやYouTube上にもたくさん溢れています。

働き方やジェンダー論、人種問題やSDGs関連などなど、これまでの「あたりまえ」が音を立てて崩れようとしている今、

それに一足早く気がついたひとたちが、それにまだ気がついていない人たちに対して、大声で発信し、働きかけ、説得して、その固定観念を解こうとしている。

その気づきを与える行為は、ものすごく気持ちがいいのだ思います。

もちろん、他者からは感謝され、自己の貢献感にもつながっていく。


つまり「生きがい」になるのです。

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新興宗教やマルチ商法など、悪いタイプの洗脳ではなく、良い気づきであればあるほど、なおさら使命感を持って取り組むことができます。

でも、ここには「危うさ」も潜んでいると思うのです。

なぜなら、過去の歴史を振り返ってみても、その行き過ぎた正義感が、多くの過ちを繰り返してきたのだから。

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さて、何度もこのブログでも触れてきた『北風と太陽』という寓話があります。

みなさんご存知のとおり、北風のように力技で旅人の上着(固定観念)を脱がせようとするのではなく、太陽のように寛容的な働きかけで自然と上着(固定観念)を脱がせようとしたほうがいいと、わかりやすく伝えたいときによく用いられる寓話です。

でも、ここでよくよく考えてみたいのです。

そもそもなぜ、北風と太陽は、旅人の上着を脱がせようとして力比べをし、勝負しているのでしょうか。

それはきっと、純粋に楽しいからです。

他者の固定観念を外す行為は、最高の娯楽であり、暇つぶしとなる。


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自身の働きかけによって、ダイレクトに他者の言動を変容させることは、それぐらい古くから気持ちの良い行為として認識されてきたわけですよね。

同時代を生きる多くの人々がかかっている呪いであればあるほど、その固定観念を外せたときの喜びもひとしおです。

それがどれだけ客観的に見て"正しい"ことであっても、まずはそのことに対して僕らは自覚的にならなければならないなと思います。

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では、一体どうすればいいのか。

人間は、自分が得られた気づきを他者と「共有」して喜びを感じる生き物です。

それがコミュニケーションの真髄でもあるため、問題となってしまう。

思うに、淡々と自己の固定観念を解き続けるだけでいいのだと思います。

そして、そこで得られた気づきを「自身の気づき」として発信し続ける。あくまで「自分の場合はこうだった」と。

その時に、他者の固定観念まで無理やり変容させる必要は全くないと思います。ましてや、自身のイデオロギーで大衆を先導しようとする必要なんてない。

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他者が上着を着ている様子を見て、なんとかそれを脱がせようとするのではなく、それを客観的に見て自分が着ている上着が何だったのかに気づき続ければいい。

暇つぶしで他人の固定観念を覆して遊ばない。無邪気にその快楽に浸らない。


現代において、意外と大切な心がけだと思います。

今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。