https://twitter.com/hirofumi21/status/1352054529395593217?s=20
もしいま自分が子供の立場だったら、ものすごく混乱していると思います。
コロナの状況ひとつとっても、「経済なの?人命なの?どっちを優先するの?」と。
大人になって、今でこそ複雑な利権や論説が絡み合っていることはなんとなく想像できて、そこに折り合いをつけながら社会と向き合っているけれど、
じゃあそれを明確に子供に対して説明できるかと聞かれれば、きっと大人だって説明できない。
というか、自分の中に存在する「純粋性を求める子供の部分」は未だに納得していません。
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そうなると、ますます子供は混乱して、最終的には親や家族が信念のように大切にしていて、且つ親が自分に対して期待してくれていることを大切にしていこう、とある種の割り切りを始めるはず。
難しく考えずに、それだけを自分にとっての行動指針にしていこう、と。
きっと古くは明治維新の「鎖国なの?開国なの?」のときもそうだったと思うし、
戦後の「資本主義なの?社会主義なの?」も似たような葛藤があったのだと思います。
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じゃあ、そのような気運が盛り上がり始めたときに、人々は一体どこへと向かうのか。
ひとつわかりやすいのは、西郷隆盛の陽明学のように「天命」へと向かうのかもしれません。
より根源的なこの世界の法則性を知ろうと試みて、いつの時代も変わることのない「宇宙の理(ことわり)」のようなものや、この世界の始まりのような考え方により一層傾倒するようになる。
つまり、より普遍的なもの、より上位概念としての「正しさ」を求めて、それを行動指針にしようとし、新たなスローガンも生まれてくるはず。
それが宗教なのか学問なのかはわかりませんが、広く民衆の中(つまり親)にも、カウンターカルチャーのように広まっていって、革命のような運動へとつながっていくのかもしれません。
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学校教育で習ったことも、社会で経験したことも、どちらも正しくないと感じて、行動指針としてなんだか物足りないと感じてしまう今、
自分は一体何を指針として生きていくのか。
今日の記事が、そんなことを考えるきっかけとなったら幸いです。