コミュニティや共同体の魅力というのは、「カレーをつくって食べよう!」という声がけのもと集った集団だとしても、実際にそこに集まるひとたちの能力や持ち物次第で、「寄せ鍋」をつくってしまっても良いところだと思っています。

いま目の前にある材料や、集まった各人の得意とする技能を勘案すると「カレーよりも、むしろ寄せ鍋を作った方がいいよね!」となれば、最初想定していた進むべき方向も、180度変えられる。

同じ旗印に集まった者同士が、その場を共に創りあげることが第一義的な目的でもあるわけですから。

最初に掲げた旗印さえブレていなければ、目的よりもその場に集まる人々を優先して、行動をいくらでも変化させしまってもかまわないのが、コミュニティの良さです。

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一方で、会社組織はそれを許しません。

結果的に集まったメンバーがどれだけ「寄せ鍋」に適したメンバーであっても、カレーをつくらなければいけない。

会社は目的や目標に対して、いちばん忠実でなければならないわけですから。なぜなら、それがそのチームの存在意義であり、それを変えてしまうとそもそも自分達の存在意義さえも否定してしまうことになりかねない。

だからこそ目的から逸れてしまうと判断したら、どれだけ好意的に集まってきてくれた人間であっても、そこから「排除」しなければいけなくなります。

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さて、ここまでの話は以前も似たようなことを書いたことがあります。



じゃあ、そもそもなぜ人間は、会社組織や労働のためのチームをつくってきたのでしょうか。

もともと社会性を重視し協力し合って発展してきたはずの人類において、他者を排除する行為は一見すると矛盾するようにも思えるから問題となります。

でも、よくよく考えてみるとその理由はものすごく単純で、「まずは他者の侵略から身を守り、食わなければいけなかったから」なのだと思います。

20世紀後半まで人類は、衣食住さえままならなかった。まずは、なんとしてでも衣食住を満たす必要があった。

そのためには、業務遂行のためのプロフェッショナル集団をつくる必要があったのです。戦争のための軍隊も同様です。そして、それは必ず代替可能であるものでなければならなかった。(兵士やプロレタリアはカンタンに死んでしまう)

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そして、今その人類の最大の難関であった「他者の侵略を阻み、自らの衣食住を満たす」ことが、先人たちの偉業のもと、見事に解消されつつあります。

でも、そのおかげで(そのせいで?)「私でなければならない場所」「余人をもって代えがたい空間」だけがこの世から見事になくなってしまった。

まさに本末転倒です。

「衣食住を満たす」という目的のために、みんなで必死に「余人をもって"代えやすい"」環境を作り出してしまったわけです。

そして、何世代も前に一番最初に掲げた「共同体が生き延びるために」という目的は完全に忘れ去り、いつのまにか過剰な「利潤」だけを追い求めるための組織集団と化してしまった。

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その結果、誰もが消費者として生理的欲求をカンタンに満たせるようになった一方で、

常に自分よりも優秀な人材、自分よりも安価で働いてしまう人間の登場に怯えて、毎日を過ごさなければなくなりました。

自分が必死に努力して他人から奪い取った椅子は、必ず同じような形で次世代に奪還されてしまうからです。

時代が常に変化し続け、日本に限らず世界各国で新しい世代が次々と生まれてくる以上、それはもう必然です。

その実態がバレつつも、なんとか平成までは「年功序列」や「大企業の終身雇用」など、過去からの慣習のもと誤魔化してこれました。

しかし、21世紀の令和においてはそれがもう無理な仕組みであることは、誰が見ても一目瞭然です。

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そんな時代背景の裏で、漫画『ワンピース』が100巻を超えて、20年以上にわたり長いあいだ若者に愛され続けてきた理由も非常によく理解できます。

「麦わらの海賊団」は、どれだけ優秀な剣士、優秀な航海士、優秀なコックがこの先に現れたとしても、メンバーがゾロ、ナミ、サンジから入れ替わることはない。

ルフィの「海賊王になる!」という目的遂行のために、メンバーが「排除」されたり、入れ替わったりすることは絶対にあり得ません。

なんなら、最初は何の役に立つかのかは全くわからない仲間でさえ、ひとりずつ同じように丁寧に加わっていく。ウソップなんかがそうであったように。

でも後に訪れる危機的な場面で、そんな「何の役に立つかわからない存在」が結果的にメンバーの命を救うことにもつながる。

そのような経験を通して、お互いに積み重ねられてきた信頼関係のもと、「他の誰も欠けてはいけない」と信じ合い、もちろんその中には「この私」も含まれているという強い確信がそれぞれの中にある。

そんな彼らの中に存在する強い絆が、「衣食住」すべてを満たされているのに「この私でなければいけない」場所だけが存在しない現代の若者たちの心を強く打ち続けているのだと思います。

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本来、人間が自己を修練し、成長発展していくべき理由は、誰が座っても構わない高待遇の椅子を他人から奪い取るためではないはずです。

ひとりひとり顔のある他者の存在を保障し、自分たちでお互いにその居場所を守り合っていくためのはず。

そんな本来の目的に立ち戻れるような空間を、改めてこの場を通じてつくっていけたらと僕は思っています。