最近、陰謀論についてよく考えます。

陰謀論とフェイクニュースの違いは、明確に嘘とは言い切れないこと。

限りなく嘘に近い、でも嘘とも言い切れない可能性がある、それが陰謀論の厄介なところ。

その中には、圧倒的に信じる価値がないものもあれば、「地動説」や「ダーウィンの進化論」のように、当時の世論ではまったくもって信用できない典型的な陰謀論とされていたものが、実は真実だったという歴史もある。

それぐらい、境界線が曖昧で、包括される範囲がとても広いものなのだと思います。

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そして、最近よく思うのは、この陰謀論のようなものを世界からすべて排除しようとする流れと、

世界から挑戦するひとが減ったことには、明確な関係性があるのではないのかなと。

具体的には、陰謀論を徹底排除しようとすることで、多くの人が「絶対的に正解であるもの」しか選択しようと思わなくなってしまった。反証可能性の有無かかわらず、です。

なぜなら、少しでも陰謀論に傾倒したら、人格まで否定されてしまうのが今の世の中だからです。

この人はもう人間として価値がないという烙印まで押されてしまう。

少しでも、陰謀論じみたことを主張したひとを見つけた途端「あーぁ、そっち側に行ってしまったのね」と、誰もがポリコレの観点から何の疑いもなく全人格を否定していいと考えている。

この点、キングコングの西野さんが下記の記事内で語っている「世界の終わりを少しだけ信じた日」という話のくだりは、とっても納得感があります。



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繰り返しますが、挑戦とはまだ誰も可能にしたことがない(証明したことがない)という点で、陰謀論と非常に酷似している部分があるのは事実です。

だからこそ、その「陰謀論を徹底的に排除しようとするポリコレは、一体なんのために存在しているのか?」をいま一度改めて考えてみたい。

少なくとも、人々の挑戦や創造性を潰すためのものではないはないはず。

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例えば、現代において、何か新しいものをつくりだせば、二言目には「で、それは環境に優しいの?」とポリコレの観点から問われてしまう。

これは、とても大事な視点だと思いつつ、そればかりが先立つことが本当に正しいことなのかは少々疑問が残ります。

以前、『つくってあそぼ』のワクワクさんが「もう工作でプラスチックのストローは使えなくなってしまった」と語っているのイベントで聞いたことがあります。

子供の工作でさえ、今はそんな状況です。

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とはいえ、これらのポリコレの潮流が間違っていると主張したいわけではありません。

くれぐれもそこは誤解しないで欲しいです。

むしろ、このルールの変更は抗いようがない事実だと思います。

文化と文明で言えば、「文明」の類い。

つまり、好き嫌いではなく、良し悪しの問題。

現代に生きている以上、このルールの中で誰もが戦わないといけません。

全員平等に訪れた現代のパラダイムシフトです。

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ただ、「絶対的な正解だけが正義である、それ以外の真偽不明なことを語っているヤツは全員悪だ、全力で叩いても構わない」

そんな主張の片棒を担ぐことによって、自分で自分の首絞めてしまっていないか、それはよくよく考えたいものです。

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最近なぜか挑戦しにくくなってしまったなあと漠然と感じているそのモヤモヤとした感情と、

陰謀論を社会から徹底的に排除しようとする主張に無邪気に賛同することは、実は関係性があるかもしれない、そんなことを頭の片隅に置いておいて欲しい。

このコインの裏表の関係さえ知っていれば、そのコインのフチに立って両者の言い分を眺めながら、自らの活動に活かすことはできるようになるはずだから。

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別の現象にたとえると、いま除菌滅菌でも似たようなことが起きていると思います。

何でもかんでも除菌殺菌して清潔にしすぎることで、逆に腸内細菌が偏ってしまい、腸内フローラに悪影響を及ぼして風邪をひきやすくなってしまう。

世界全体の除菌滅菌の流れには決して抗えないことかもしれない。

でも、そんな中でも自分の中での菌のコントロールはある程度柔軟に対応できるはずです。

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それと同様に、社会の潮流と自分自身の健やかさや信念は、ある程度切り離して考えた方がいいのかなと思います。

そんなことを考える今日このごろ。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のこのお話が何かしらの参考となったら幸いです。