これだけ多くの人々が日々の労働で悩み、心を惑わせていると、

どうしても、その悩みから解放されるための「ラクして〜」や「ストレスなしの〜」といった類いのノウハウや書籍が世に溢れてしまいます。

でも、それを見ながらいつも「いやいやそうじゃない」と感じてしまいます。

本当に見つけるべきは、今日のタイトルにもある通り、「自分にとって心地よい疲労感のほう」だと思うのです。

今日はそんなお話を少しだけ。

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この点、そもそも人は疲労感にこそ、生きがいを感じる節がある。

わかりやすいところで言えば、登山やキャンプ、スポーツなんかも心地よい疲労感を求めて行なっている行為ですよね。

少しでも、体力を削られたくないと思えば、わざわざ自分からそんな過酷な状況に身を置くはずがありません。

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これは「働く」においても全く同じこと。

今は、過度なストレスや緊張感に苛まれている人が多く、その結果として病気になったり鬱になったりする人が多発している。

結果として、「ラクになる」や「ストレスフリー」など、そんなノウハウやライフハック本が持て囃されています。

しかし実際に疲労感がなくなったら、その先に待っているのはきっと虚無感だけです。

「あれ、私はなんのために生きているんだっけ…?」と。

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「いやいや、疲労感がなくたって、貢献感を感じられればそれでいいじゃないか」と思う方もいるかもしれません。

本当にそうでしょうか。

例えば、宝くじか何かが当たったとして、自分のもとに莫大な財産が転がり込んできたとします。

その資産運用だけで、毎年使いきれないだけのお金が手元に入ってくるとしましょう。

それを困っている人たちに分け与えれば、ものすごく感謝されるはず。

でも、それがいかに虚しい行為かは容易に想像していただけるかと思います。

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やっぱり人間は、「これはきっと喜んでもらえるに違いない」と手塩にかけて育てたものが、他者のもとに適切な形で届き、相手から喜んでもらえたときに一番の喜びを感じる。

つまり「貢献感と疲労感」が適度な形でセットになって訪れないと、本当の多幸感を感じ得ないということなのでしょう。

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最近、なにかと話題で槍玉に上がりやすいブルシットジョブなんかも、

「そんな無駄なことしていて何になる!」という批判が主ですが、

たとえブルシットジョブであっても、毎日やることがあるうちは華だと思います。

本当にやることがなくなるタイミングが、近いうちにこの世界に必ず訪れる。

その時に、自分にとって本当に心地よい疲労感とはなんだろう?と今から考えておかないと、

「あなたは何もしなくていいですよ」と言われた時に、やることがなくなって呆然としてしまうことでしょう。

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それが肉体を使ったものなのか、


思考を使ったものなのか、


感情を使ったものなのか、

その心地よい疲労感の感じ方は人それぞれ異なるはずです。

それを今から自分なりに探っておくこと。

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そしてここからは完全に蛇足ですが、人は誰かが全力で頑張っている姿に心打たれる習性があるようです。

つまり他者の「疲労感」に、ひとは魅力を感じるわけですよね。

それは「与えられた肉体や有限の時間を、目一杯に行使している瞬間」と言い換えてもいいのかもしれません。

こんなタイミングだからこそ、今日のお話が「自分にとって本当に心地よい疲労感とは何か」を考えるきっかけにしてくれたら幸いです。