大きな自然災害も感染症も戦争も、なんだか歴史の中だけの出来事だとぼんやりと思って生きてきました。

でも、ここ10年のあいだにそのすべてが実際に起きてしまった。

この世界の現状を目の当たりにすると、せっかく作り出した21世紀型の秩序というのも、いとも簡単に崩壊してしまうのだなと強く実感してしまいます。

ただし、よくよく歴史を学んでみると、人類の歴史というのはいつもそのような繰り返しを通じて前進してきたとも言える。

外部から突然やってくる何かしらの不確定要素によって、強制的に無秩序状態に陥いることもまた歴史の必定。

そんな「トリックスター」は必ず現れるのです。

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それは、社会に限らず、個人であっても全く同じことです。

どれだけ類い稀なる努力によって、順風満帆な人生を送っていたとしても、必ずどこかで自分自身が病を患ったり、家族の体調が崩れたりと、それまでの秩序を崩壊させるような力は働いてしまう。

そのときに、私たちに試されているのは、そこから再び立ち上がる「復元力」なのだと思います。

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では具体的には、どうやってそこから再び立ち上がればいいのでしょうか。

僕はそれこそが「型」の持つ力であり、ルーティンや習慣の力だと思っています。

私たちはどうしても、秩序の維持・継続が「型」やルーティンの効用だと思ってしまいがち。

でも実際は、自分が淡々とつくりあげてきた秩序が否応なしに崩壊させられて、それが完全に崩れ去ったときこそ、その「型」による復元力が試されるときなのではないでしょうか。

何かが崩壊しても、淡々とまた日々の習慣を繰り返すことによって、秩序ある生活を少しずつ取り戻すことができる。

もし仮に、モチベーションや運だけに頼った人生を送っていた場合、幸運の間はなんとか平穏を保つことができるけれど、何か不確定要素が訪れて、総崩れしたときには、そこから一切立ち直れなくなってしまいます。

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ただ、この事実がわかっていたとしても「この破壊と創造の繰り返しに一体何の意味があるのか」と世界に対して絶望しそうにもなります。

でも見方を変えれば、無条件に壊されるタイミングが必ずやってくるからこそ、そこから得られる学びもまた生まれてくるはずです。

学びのない平和な日常というのは、世界にたくさん存在すると思いますが、学びのない困難というのはひとつも存在しない。

それまで築きあげてきた秩序を失って初めてわかることが、この世界には山ほどある。

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だからこそ、そんな無秩序を目の前にしたときに絶望して何もかも投げ出してしまうのか、それとも、今こそ自分自身を見つめ直すチャンスだと捉えて、以前よりもさらにより良いものをつくるためにまた一歩目を踏み出すのかで、人生は大きく変わってくる。

何がいつ襲ってきても、過去に執着せず、また新たな一歩を歩み出すためにも、平時に淡々と「私の型」をつくり出しておき、その小さな約束を守り続けることが本当に大事なことなのだろうなあと。

そんなことを考える今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、何かしらの参考となったら幸いです。