ひとは、なぜ悩みや問題を抱えているのか。

「世の中の大半がうまくいき過ぎているから」というのが、最近の仮説です。

関連:あまりにもうまく成功しているがゆえに、様々な問題が生じている。 

それはつまり、入力と出力のズレから生じていることが原因であるということ。

自分の周囲に存在するさまざまな現象において、入力と出力が一致するものが増えれば増えるほど、そのズレが生じることが気になってしょうがなくなる、ということなのでしょう。

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私の顔の形でさえ、タップひとつで簡単に自由に変えられるこの世の中で、権力者の指示ひとつで戦争になり核ミサイルが飛ばせるこの世の中で、どうしてこの目の前の問題は、私の思い通りにいかないのか、と。

そりゃあ、イライラしてきて当然ですよね。

これもよく語られるような話ですが、経営者が筋トレにハマってしまうのも似たような理由からだと思います。

こんなにもわかりやすく、入力と出力が一致する(ハックできる)ものもなかなかない。

サウナなんかもその類いで、何分間サウナに入って、何度の水風呂に何分間浸かっていれば、ととのう感覚が得られるなんてハックの極みです。

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彼らは、自分の会社もそんなふうに入力と出力が一致するように成長させたいと、本気で願っている。

でも、人間社会はなかなかそんなふうには思うようにはいかないのが実状です。

会社はもちろん、家族や個人の問題でさえも、入力と出力が一致しないところは多々ある。

むしろそちらが、世界の本来の姿なのだと思います。

でも、科学と資本主義の発展によって、入力と出力の一致がいたるところで行われるようになってしまったがゆえに、それがドンドン際立つようになってしまった。

目の前に広がる世界の「理不尽さ」がより一層増しているように感じられて、すべてが「不条理」に思えてくるわけです。

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すると、人間社会はどうなってくるのか。

お互いに、相手の期待する役柄を強く演じるようになるのだと思います。

そのほうがお互いにとって、期待通りに事が運ぶようになりますからね。

資本主義の論理に従っている組織(国家)の頂点に向かえば向かうほど、絵に描いたような人間が集まる理由もきっとここにあるのだと思います。

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この現実に直面して、僕らが取ることができる手段は大きく分けてふたつある。

ひとつは、それでもこの世界にコントロールできないものがなくなるまで、ハックする方向に向かうのか。

それとも、そもそもハックなんてできないということが、この世界の真理であると理解して、それを諦めるのか。

昔の人々は、人間の思う通りにいかないことのほうが大半だったために、それは「神の仕業」であるとして、淡々と待つことができた。

どちらが良い悪いという話ではなく、自分がどのような生き方を選びたいかだと思います。

もちろん、両極端を目指すのではなく、そこには多数のグラデーションが存在し、その落とし所は各人によって全く異なるでしょう。

でも、この構造自体はちゃんと理解しておきたい。

そんなことを考える今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。