何か新しいプロジェクトを立ち上げるとき、僕らはそこに何かしらの意味を込めたがり、そこに他者の強いコミットメントも求めてしまいがち。

でも、よくよく思い出してみると、「これからも淡々と続いていくであろうという安心感」が心を支えになってくれた瞬間って、人生の中でたくさんありましたよね。


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例えば、メンタル面の不調から、半分仮病のような形で学校や会社を休んだような日でも、

いつもと変わらずにやっている「いいとも」に、心救われたひとって、実は結構多いのではないのかなと思います。

もちろん僕もそのひとり。

お昼の12時ごろ、ズル休みをした日のなんだか一番うしろめたい気持ちが襲ってくる時間帯に、タモリさんは今日も熱しすぎず、冷め過ぎず、淡々と生放送をしてくれている。

本当に欲しいのは、そうやって自分がどんな状況に陥っていようとも、負担に感じない程度に、今日も明日も変わらずに淡々と続いていると感じられる、安心感なのではないか。

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さて、ここからまったく話が変わりますが、

最近、西日本各地で桜が咲き始めていますね。

僕も今いる大阪で、桜の開花を今年初めて眺めているのですが、不思議なことになんだか例年のような高揚感がありません…。

そして、ここでものすごくハッとしたのです。

桜はきっと、巡らないと趣がないのだ、と。

いつも通る道、いつも見る街並みの中に、今年もまたいつものように咲き始めた、そのことが唯一、桜を桜たらしめている。

私にどんな変化が起ころうとも、この季節になれば変わらずに淡々と咲き誇ってくれる。

その安心感に、自分は毎年心を癒やされてきたのだなあと。

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いつもと変わらぬ場所で、同じ桜を見てきた、その積み重ねから生まれる心の安寧。

それこそが桜の本当の魅力だったんだと気付きました。

この桜の話や、先述した「いいとも」のタモリさんのように、これからも淡々続いているであろうという安心感や、勝手に支えてもらっているように感じる安堵感は、これからも決して軽視はしたくない。

だからこそ、本当に些細なことではあるのだけれども、いつまでも淡々と巡ると思える場を、このサロン内でもつくっていきたい。

いま世の中に足りないと感じる空間とは、まさにそんな空間だと思うから。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。