僕のVoicyによくゲストで出演してくださっている、最所あさみさん。

最近、彼女が石見銀山に長期滞在されていて、Wasei Salonのコミュマネ・長田さんもかかわっている「遊ぶ広報」の一環で、発信活動をされていました。

ちなみに「遊ぶ広報」とは、その土地にじっくり滞在しながら、その土地の魅力を自分なりの表現で伝えていく取り組みです。とてもいい実験だなあと思って、遠くから眺めていた。

で、今回僕は、そんな最所さんに対して本当にちょっとしたとある「きっかけ」を贈らせてもらいました。

そうしたら、そのお礼として、石見銀山・群言堂の社長である松場忠さんといっしょに収録した45分程度の対談音声を贈ってくださったんです。

ーーー

なんだか、これに僕は心の底から感動してしまいました。

物欲もなく、ものも増やしたくない自分は、ひとからの贈り物は基本的には断ることのほうが多いのだけれど、「自分にとって、こんなにも嬉しい贈り物が世の中にあったんだ…!」っていうぐらいに、本当に嬉しい贈り物をいただいいたなあと感じています。

何よりも自分自身が、こんなに感動すること自体に驚いた。まさか自分の中に、こんなニーズがあるなんてこと、自分でも一切気づいていなかったからです。

僕が知る人々の中で、いちばん接待力が高いと思わされる、忠さんと最所さん。本当にプライスレスなものを贈っていただいたなあと思います。

普段から相手のことをしっかりと見ていて、相手にとって本当に欲しいものが何かっていうところを常日頃から観察されている。

そんなおもてなし精神にあふれるお二人の姿勢みたいなものが、この収録からもなんだかヒシヒシと伝わってきました。

おふたりからおもてなしや接待力とは一体何か、その本質を垣間見た気がします。

ーーー

じゃあ、一体何がこんなにも自分にとって嬉しかったのか。

それを今日はこのブログの中で考えてみたいなと思います。

唯一無二の貴重な体験をさせてもらって、自分でも驚くほど感動してしまう体験というのは、深堀りしがいがあるなと思うからです。

ーーー

まず一番最初に実感するのは、やりすぎてない感、です。

お互いの交差点を丁寧に探ってくれたこと、そして決して両者ともに無理をしていないこと。

もしこれが、まったく同じ内容だったしても、いわゆるな「動画メッセージ」だったら、きっと嬉しいは嬉しいけれども、ちょっと重たいなとも感じてしまっていたと思います。

そして、内容も、想像以上にちゃんとポッドキャスト番組みたいになっていて、ものすごく聴きごたえがありました。お二人にとっても、この収録の時間が有意義な時間だったということも、ハッキリと伝わってきた。

ーーー

また、最初の部分だけ、文脈を揃える意味で「鳥井さん宛のメッセージです」と軽く言及しつつも、そのあとは完全に、聞き手の僕を意識せずに、良い意味で僕のことを放置してくれたこと。

素直に、お二人の邂逅から自然に生まれてきた対話、その知見から語られるお話が、余すところなく展開されていました。

それを、ひとりのリスナーとしての立場から聴けることが、本当に楽しかったし、何より嬉しかったです。

たとえ同じように音声であっても、僕への言及や、僕へのお礼ゆえに過度なリップサービスが多すぎたら、それはそれできっと重たかったと思うのです。

ーーー

つまり、何がすごいかと言えば、僕が嫌がるだろうと思う部分を本当に見事に避けているところ、その気配りと配慮に本当に感動しました。

間違いなく、自分宛てなのに、自分宛てじゃないと感じさせてくれる距離感というか、その節度みたいなものも、僕にとっては本当にちょうど良くて、とっても感動した。

そして、これって、今すごく大事な観点だなとも思います。

僕ら現代人は、本当にたくさんのアンビバレントな感情をいつも抱えています。

自分宛てじゃないとさみしいし、自分宛て過ぎても、逆にめんどうくさかったり、邪魔くさく感じたりもする、とてもワガママな生き物です。

形式張ったお礼などを届けられた瞬間に、そこに「タテマエ」や「偽りの心」を感じ取ってしまうこともある。

そうじゃなくて、糸井重里さんの西武百貨店のキャッチコピーじゃないけれど、もっともっと純粋に「欲しいものが欲しいわ」ということですよね。

ーーー

そう考えた時に、自分だけに特別待遇してもらえれば嬉しいのかといえば、そうでもなくなってきている。

少し話はそれますが、先日、ホスピタリティの文脈でゼロ年代から話題になっていた有名外資系のホテルに宿泊させてもらう機会があったときに、

ちょっと自分が求めていたニーズとは異なる点があってそれをフロントに伝えたら、やたら丁寧に「今回だけ特別に、あなた様だけに特別に」と何度も繰り返して伝えてもらったあとに、僕の要望を見事に叶えてくれました。

実際とてもありがたかったし、何一つ文句のつけようもない対応なのだけれども、僕はそういうのをホスピタリティだとは思わないなと感じた。

10年前ならそれをホスピタリティの証だと思ったはずだけれど、自分だけが特別待遇して欲しいわけじゃない。

それっていうのは、裏を返せば、自分以上の待遇を受けている人間が、同じ建物の中に、たくさんいるということだから。

そうじゃなくて、誰も泣いていない、誰も搾取されていない、それが本当のホスピタリティだと思います。

だけれども、どうしても何か人に「優越感」を感じてもらうためには、至れり尽くせりの状態をつくり出し、かつこれはあなただけに向けられたサービスであるということを過度に強調しなくてはならない。

僕は、それに猛烈な違和感を覚えたんですよね。「違うんだよ、そうじゃないんだ…!」ってすごく思ってしまいました。

ーーー

あと今日の話に関連して、この年齢になっていつも思うことは、これまで数限りなく、結婚祝いや出産祝い、引っ越し祝いなど祝いの品を知人・友人に対して贈ってきた。

でも、すぐに何かしら同等の品を返されてしまうとき、あれが本当につらいし、悲しい。

一体何のための贈り物だったんだろう、と毎回さみしく思います。

相手はきっと「返報性の法則」からくる負い目を少しでも早く清算して、気持ち的に楽になりたいのだろうし、その気持ちも、礼儀としての正しさも頭ではよくわかる。

でも素直に、ありがたく受け取ってもらったほうが、何倍も嬉しいのになあ、と感じてしまいます。

ーーー

またここで若干話がそれてしまいますが、この点、Wasei Salonのみなさんの投稿を読むときにも、今日語ってきたような音声の贈り物と、似たような喜びを感じる瞬間があるなと思っています。

Wasei Salonの書き込みが、本質的に嬉しいと感じる理由、それはオープンなSNSとの違いは、宛先に間違いなく自分が含まれているのだけれど、でも自分だけが宛先ではないということなんですよね。

あくまでそれは各人の「つぶやき」であり、なおかつ他のメンバーもフラットにその宛先になっている。そのちょうど良い距離感であり、その心地良さがあるんだろうなあと思うのです。

言い換えると、すべてが自分宛てだと重たすぎるし、受け取りきれない。でも、オープンなSNSだと自分事化にはならない。自らを宛先に含めず、他人事として流してしまう。

このように「私宛でもあり、私宛だけではない」という距離感が本当に絶妙で、今ものすごく心地よい距離感だなと思うのです。

これもきっと「群れずに、群れたい」の一つの形であり、ひとつのあらわれでもある。

ーーー

で、僕らがいま本当に求めているのはこの距離感だと思うのです。

自分宛てでもあるし、自分宛てでもない。分散しつつも、ちゃんと自分にも心地よい比重、そんなやわらかな重みもあるというような。

なんだかずるいようでいて、でもその重みを一緒に背負ってもらえている感じがあって、僕としては本当にありがたいんです。

そして、きっとみなさんも、どこかで似たように感じているんじゃないだろうかと思います。

コミュニティや空間自体に励まされるというのは、たぶんそういうこと。

ーーー

そして、現代における、おもてなしや接待の肝は、まさにここなんだろうなあと思っています。

どうしても僕らは、相手への気持ちが強ければ強いほど、失いたくない関係性であればあるほど、何でもかんでも盛り盛りにしてしまう。

でも、そうじゃない、大事なのは引き算や、重み付けのバランス。

「いい宿は、丁度いい塩梅で放っておいてくれる宿だ」というのは、多くの方々が既に語っていることではありますが、本当にそう思いますし、これもまた相手の立場や置かれている状況を真摯に考えた、引き算の美学の発想でもある。

それは本当に、相手のことを慮る気持ちゆえの引き算、なんですよね。

もちろん、そこで寂しさや孤独感、物足りなさを感じさせるわけでもない。

むしろ、その引き算があることによって、心からの満足感や充足感が得られる、より相手から丁寧に寄り添ってもらった気持ちになれるから、本当に不思議です。

ーーー

決して、杓子定規的に「普通」や「常識」を優先しないでいてくれること。そのときに僕らは、かけがえのない自分宛てを感じ取る。

過度な視線やまなざし、気遣いを向けないでいてくれるからこそ、逆説的に「余人を持って代えがたい存在」だと心から思ってもらえているんだろうなあと強く感じることができる瞬間でもあるわけです。

おふたりにとって、僕が実際にそのような存在なのかどうかは別にしても、「そう感じさせてもらっている僕がいる」という話です。

ーーー

今回の体験は、本当に心から感動しました。

僕が忠さんや最所さんのことを心の底から深く尊敬する理由が、とてもよく理解できた。

最初は僕が贈る側だったわけですが、まさに「情は人のためならず」で、いちばん僕自身が学ぶ機会を与えてもらいましたし、ものすごく良い勉強になりました。

僕自身も、こういう敬意と配慮と親切心を常に周囲に対して持ち合わせていきたいなあと思う。

改めてお二人にはこの場を借りて丁寧にお礼を伝えたいですし、この経験をWasei Salonにも活かしていきたいなと思ったので、今日のブログにも、この貴重な体験を書き残しておきました。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。